連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第121回

ニッケイ新聞 2013年7月23日

「なんだ、児玉さんは叫子さんを目当てに飲みに来たんだ。残念ね、彼女はいい人を見つけて、今はアクリマソンで暮らしているらしいよ」
「そうなんだ。どこのアパートだかわかる?」
「叫子さんと仲の良かった子がいるから、ちょっと待ってて」
 彼女はサトミというホステスを連れてきた。児玉はボックス席で二人に挟まれて飲むような格好になった。
 サトミに、叫子さんに伝えたいことがあるので、都合のいい時に連絡がほしいと伝言を頼み、パウリスタ新聞の名刺を渡した。結局、その晩はビールを六本ほど飲んで帰宅した。
 翌日、児玉はいつも通りに出勤した。しばらく酒を飲んでいなかったので、肝臓の機能も回復し、二日酔いもしていなかった。
 夕方、一面の版組が終わり、ゲラ刷りを校正して再校ゲラを待っている時だった。児玉に電話が入った。
「お久しぶりです」
 聞き覚えのある声だった。すぐに小宮だとわかった。サンパウロ市内のホンダのディーラーで整備士の仕事についているのは知っていたが、サンパウロに着いてからは会っていない。
「いや、久しぶりですね。お変わりありませんか」
 児玉は何年も会っていない友人に再会したような気分だった。児玉は近況を小宮に報告すると、小宮が言った。
「私の方は、早々と結婚したんですよ」
「エッ」
 驚きのあまり児玉はしばらく沈黙した。
「昼頃、家内の友人のサトミさんから連絡があって、児玉さんが連絡を取りたがっていたと聞いたものですから、児玉さんは知り合いだから連絡をしてあげたらいいと言ったんですが、どんな用件か私に聞いてくれというものですから……」
 小宮は東駅叫子と結婚していた。
「それは詳しくお会いした時に説明させていただきます。差し支えなければ週末にでも小宮さんの自宅にお伺いします」
 編集部で取材意図を説明するわけにもいかず、児玉は苦し紛れにこう返事した。小宮は児玉の申し出を快く了解してくれた。

 日曜日の午後、児玉は小宮が住んでいるアクリマソン区のアパートを訪ねた。児玉のアパートからもそれほど離れてはいなかった。しかし、広さといい景観といい、児玉のアパートとは雲泥の差だった。
 リビングルームには北側、南側に作れられた窓から光が差し込んでいる。眼下にはアクリマソン公園が見えた。
「妻の叫子です」と小宮が妻を紹介した。
 トパーズで働いていた頃の叫子をかすかに覚えているくらいで、児玉は会話をしたことはなかった。
「児玉さんの方はその後、お変わりはありませんか」
「まあ、私の方はなんとか新聞社で働いていますが、小宮さんが結婚していたとは想像もしていませんでした。おめでとうございます」
 児玉は結婚を祝った。
「ありがとうございます」叫子が嬉しそうに言った。
 小宮はキッチンからビールとコップを持ってくるとセンターテーブルの上に置いた。
「いっぱいやりましょう。飛行機の中で飲んで以来、サンパウロで児玉さんと飲むのはこれが最初でしょう」
 叫子がスライスしたサラミソーセージとレモンを持ってきてくれた。
「何か私に相談したいことがあるってサトミさんからお聞きしましたが……」
 叫子は児玉の用件が気になっているのだろう。児玉は取材意図を説明した。
「記事はパウリスタ新聞ではなく、日本の雑誌に出るんですか」小宮が少し驚いた様子で聞いた。
「私は別に親戚がいるわけではないし構いませんが、主人の方が……」叫子が訝る表情を見せた。(つづく)

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