ブラジル文学に登場する日系人像を探る 9=ベルナルド・カルバーリョ=『陽はサンパウロに沈む』=中田みちよ=(4)=作者の私生活の反映か

ニッケイ新聞 2013年7月30日

 物語が過去と現在を行ったり来たりしながら進行するのはベルナルドの得意とする技だそうですが、一字一句に注意しながら読まないと迷路に入ったような気分になります。文体にはほのめかしがなく、簡潔で正確だから翻訳しやすいともいえますけど…。
 次の13章の描写は、外国でまごつく異邦人としてのベルナルド自身を客観的に描写しているように感じます。
 『誰かに聞くことにするーーしかし、路上には一人の外国人もいない。背広の男に英語で話しかけてみた。はじめ、親しいそぶりを見せたが、私が外国人だと分かると逃げるように去った・・・(中略)視線をそらせ地面を見、まるで見なかったような聞かなかったような振りをする(中略)・・・まるでものをねだる乞食か酔っ払いのように足を速めて逃げる。私は嫌われるレプラだった。道の真ん中で私は笑った。どうしたというんだ。私は空を見た。たぶん、神を探して。そして笑った』
 物語を通して逃避・脱出が語られますが、それはベルナルドの私生活の反映でもあるようです。ブラジルではインジオ部落に住んだり、日本やロシア、モンゴルなどに移り住み、異郷にあって異邦人として生きるということは何なのか、を探っています。日本の場合はブラジルという国で異邦人として暮らす日本移民を主軸にして二、三世が登場し、異邦人として父祖の地へ出稼ぎに行くという役割を与えています。主人公を日本から来た女性にし、そこで彼女の物語を聞くジャーナリストとしてベルナルドの分身を登場させているんですが、日本全体が非常に善意をもって語られています。ベリッシモの場合にはやわらかいジョークの中に結構、辛らつな揶揄もあるんですが、ベルナルドにはそれが感じられない。わずかに感じられたのが次のページです。
 『・・・彼女はサンパウロについて訊ねた。「富裕層と貧困層をつなぐ共通項があるとすれば、それは犯罪だよ」と私は重くたれてくるまぶたを閉じないように努力しながら答えた。「ここ(日本)では、権力と犯罪は平和的に共存していると思うわ」と妹は答えた。(中略)私たち二人は睡魔と闘っていた。だからこそ禁句の「日本で生きるとはどういうことなのかと聞いたしまった。(中略)彼女は東洋的に答えた。つまり、寝言のように、まるでおとぎ話でも語るように、私に結論を出させないように。『覚えている? 日本がその経済力をバックに、後進国の票を得て国際捕鯨協定をひっくり返すのに成功したこと?』
 かなり以前から日系社会で盛んになっていた自分史を編むはなし。風潮に習ってこれをミチヨという単身ブラジルにやってきた女性の自分史として読めば、かなり、親近感がもてます。今までかなりの自分史を読みましたが、小説以上の「奇」が数多く日系社会には存在しているのですから。『いまなら分かる。ミチヨはそれをポルトガル語で書いてくれる誰かが必要だったのだ。子どもを産めなかったものとして。次世代への遺産となってくれるように書き残す必要があった。ミチヨが私に持ちかけたのは、ひとつの修業であり、ひとつの挑戦である。たぶん私の中に、陽が沈むときに陽が生まれ、陽が生まれるときに陽が沈むところを徘徊しながら、隠された時間を暴くことができずに帰ってきた不満を見て取ったのだろう』
 これが最後の段落です。訳者として、ぜひ一度みなさんもお読みになることをお勧めします。
 『今度はあなたに頼むわ』私はテルオの上の娘に言った。——語れずに逝ってしまった人に代わって——彼女がサンパウロに私を訪ねてきたとき、読んでみてほしい、とこの物語を差し出したのだった。(おわり)