連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第132回

ニッケイ新聞 2013年8月7日

 幸代は白徳根の話を聞きながら、共和国に帰還した家族がどんな生活を送っているのか想像するだけで恐ろしくなってきた。トランジスタラジオさえ聞くことができない。電気が引かれているのかもわからない。衣類、食料、医薬品が必要。換金しやすいのが自動巻きの腕時計。アフリカの避難民と同じ生活を送っているのかもしれない。避難民なら国連の支援が期待できるが、共和国で暮らす家族に支援の手を差し伸べるのは、幸代と仁貞の二人しかいないのだ。
 幸代はまず医薬品を買うことにした。ガーゼ、脱脂綿、絆創膏、オキシドールにマーキュロクロム、父親が湿布によく使っていたトクホン、風邪薬、胃腸薬、鎮痛剤、ビタミン栄養剤。あまりの数と量の多さにレジスターの店員が幸代の訝る目で見ていた。
「開発途上国に駐在している兄に持って行くものなんです」
 尋ねられてもいないのに幸代が言い訳めいた説明をした。店員はそれで納得したのか、「大変ですね」と言った。
 食料品は近くのスーパーでインスタントラーメンや乾?など長期保存できるものを購入した。
 年が明けると冬もの一掃バーゲンがデパートで始まった。コートにセーター、ジャンパー、ジーンズ、下着類を購入した。仁貞はどこから集めてくるのか、子供の古着まで集めてきていた。母と二人暮らしのアパートが共和国に持参する土産物で足の踏み場もなくなってしまった。
「それでいつ新潟港を出港するの?」
 幸代は何度も聞いたが、仁貞自身にも詳しい日程は知らされていなかった。
 持参品は新潟県の総連支部に送るように指示された。
 結局、訪問の詳細な日程は本人にも家族にも知らされないまま、用意を整えて千代田区富士見町の総連中央本部に集合するように指示があったのが出発の三日前だった。
「祖国訪問同胞歓送式が行われ、そこから直接新潟に向かうらしいよ」
 仁貞の説明に、
「らしいよって、それどういうこと」幸代は苛立つ思いを吐き出した。
「私にも教えてくれないのだから仕方ないだろう」仁貞も不安交じりに言い返してきた。
 ここで争えばいつものように、自分が納得するまでは言いたいことを話し続ける。
 幸代は白徳根が共和国に行く時はどうだったのかを、電話で聞いた。
「訪問団のメンバーにさえ新潟に向かう列車も教えないだろう。私が行った時は、新潟市内の同胞が経営するビジネスホテルに二泊した。おそらくお母さんもそこで一、二泊してから出港ということになるが、ビジネスホテルに缶詰めになり、外部には連絡するなと指示が出されるはずだ」
 彼の言う通り、母親は歓送式が終わった後、新潟に向かったらしく、それから一切連絡が取れなくなった。

 朴仁貞から疲れ切った声で電話連絡があったのは、三週間後だった。
「今、戻ったから」
「どこにいるの?」
「新潟さ。これから列車で上野に向かう。夜には着くから」
 駅のアナウンスや雑踏の音が混じっている。
 母親がアパートに戻ったのは、日付が変わる頃だった。仁貞はいつも外出する時に持っている巾着袋をぶら下げただけの姿で帰ってきた。
 土産物はすべて段ボールに入れて梱包し、新潟に送ったが、着替えなどは小さなトランクに入れ、自分一人でも持ち運べるようにして幸代は送り出したのだ。仁貞は身一つで帰国した。
「どうだった?」
 仁貞は夜が明けるまで、共和国での出来事を話し続けると幸代は思った。しかし、仁貞は口を開くのも億劫だといった表情で言った。
「明日話すよ」(つづく)

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