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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年8月15日

 ときおり小欄でお伝えしている月々の心に残る言葉。取材で拾い、紙面で掲載した印象深いコメントを再度紹介しているのだが、気になるものが少ない。取材不足か、コラム子の感性の鈍磨だろうか、としばし紙面を手に考えたところ、イベントを知らせる記事が多いことに気がついた▼8月は夏休みを利用して訪伯する人が多く、式典やイベントが多い。開催されたイベントも含めれば、1日に二、三つはある。来社での記事も多いので、おざなりの記事になってしまうことはしょうがないのだが、ふと亡くなった先輩記者の「邦字紙回覧板」説を思い出した▼かつては「コロニアのオピニオンリーダー」を自称していた時代もあるのだが、近頃は大分事情が違う。諸団体のリーダーは日本語が読めないし、読む気もあまりない。徐々に影響力がなくなるのだが、コロニア自体の活動は続く。主体は二、三世のポ語話者。邦字紙読者は自然に受身となり、高齢者に必要な—もしくは対象となるイベント、お知らせが記事の主体となっていく、というのがその説のおおよそ。はずれてはいない▼広告の減収や邦字紙を支えるコロニアの意識の変移を目の当たりにするにつけ、先輩の説に首肯せざるを得ない。一方、先月から掲載している「レジストロ地方入植百周年」や日本の事情と比較した「不妊治療天国ブラジル」など、邦字紙でしか書けない(書かない?)と一定の評価を受ける連載もある。「昔はこんな視点はなかった」と存命の先輩の言葉を聞き、邦字紙の役割というのは時代時代で変わっていくものだし、また役目を模索しなければならないのだと思う。(剛)