大耳小耳

ニッケイ新聞 2013年8月22日

 「文協主催の形は負担が大きく、当初は隔年開催の予定だった。昨年の初開催の後、援協や商議所などが『素晴らしかったからぜひ来年も』と手を挙げて協力してくれたからこそ、こうして毎年開催となった」と感慨深げに語るポ・アレグレ文協の菅野会長。運営委員会のメンバーも、昨年の10人から2倍以上に増えた。特設ステージ上の天井いっぱいに飾られた折鶴や、会場を彩る吹流しは婦人部が作成を担当するなど、それぞれが役割を果たした。「一体感があって良いよね」という菅野会長の言葉にも実感がこもる。
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 在ポルト・アレグレ駐在官事務所の後藤猛領事によれば、姉妹都市でありながら近年交流が途絶えていた南大河州と滋賀県は、交流を活発化させるため、今年2月と7月に相互の職員がそれぞれを訪問しあったとか。「そんな中で、こういったお祭は非常に良い機会」と、同事務所も日本人形や食品サンプルなどを提供し、ポ・アレグレの姉妹都市である石川県金沢市や姉妹県滋賀の観光紹介パンフレットなどと合わせ、特設ブースが設けられた。ちなみに、着物ショーで披露された浴衣は、金沢市から提供されたもの。日本から遠く離れた地で息づく絆を、今後も深めていってもらいたい。
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 『移民の生活の歴史』(1970年、人文研)によれば、半田知雄が桂植民地に関して地元ブラジル人から聞いた興味深い話が載っている。《むかしここに船で着いた桂植民地の者も、船がサントスからイグアッペに着くと、すっ裸で海へ飛び込み、大騒ぎになり、まもなくサンパウロの新聞、しかもオ・エスタード・デ・サンパウロに載って問題になったというのである。(中略)野蛮人だ、土人以上だと騒ぎ立てられた様子が目に見えるようである》(359頁)。今なら日本でもありえないが、敬虔なカトリック教徒の多い当時の地方部ではさぞ刺激的な光景だっただろう。