連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第148回

ニッケイ新聞 2013年8月29日

 そんな言葉を児玉に漏らしていた。
 彼らの多くは韓国にそれほど愛着もなく、愛国心があるようにも思えなかったし、ブラジルに帰化する者も多かった。
 終戦直後、ドイツ、イタリア、日本の移民の状況を見ていたブラジル人があるピアーダ(笑い話)を作った。
〈イタリア人は町に繰り出し、戦争が終わったことを喜んだ。ドイツ人は家に引きこもり、戦争に負けたと泣いて悲しんでいた。日本人は畑に出て泣きながら働いていた〉
 それぞれの国民性を表現しているように感じられる。
 戦後もしばらくの間、移民はサントス港から上陸した。
〈イタリア移民はサントスの土を踏んだ瞬間に、俺たちはブラジル人だと言った。韓国人はサントスからサンパウロまでポルトガル語会話の本を広げ、サンパウロに着くとブラジル人だと言った〉
 こんな評価があると韓国日報の通信員が教えてくれた。
 移住の動機は政治的難民の色彩が濃いためか、韓国的な教育を受けさせたり、韓国に子弟を留学させたりする移民は極めて少なかった。経済的な余裕があれば、彼らは子弟をアメリカやヨーロッパに留学させた。
「自分の国だけど、あの国で子供を育てたくない」
 こんな本音を漏らす者も多かった。ブラジルでは朴美子のような生き方をする韓国人二世は生まれてこないだろうと児玉は思った。
 朴美子を無理やりにでもブラジルに連れてきてらどうなったのだろうか。やはり韓国人になりきろうと考えたのだろうか。ここでは民族などというものはさほど意味は持たないように児玉には感じられた。

「グァワイーラの野村さんのお孫さんと付き合っているんだって」
 小笠デスクが児玉に聞いた。どこから情報が伝わるのか不思議だ。マリーナの祖父がパウリスタ新聞の代理店を他人に譲ったのは十数年も前だが、今でも新聞社と交流があるのだろうか。
「まあ……」児玉はあいまいな返事をした。
 マリーナとの付き合いが編集部スタッフに知られても別に問題が生じるわけではない。しかし、個人的な情報までが飛び交う編集部内の雰囲気に児玉は嫌悪感を抱いた。編集部だけではなく、日系社会にそうした傾向があるのかもしれない。自分の一挙手一投足を見られているような不愉快さを感じた。
 マリーナと付き合っていることが知られるくらいだから、記事を日本の雑誌に送り、原稿料を稼いでいる事実を編集部に知られるのも時間の問題だろう。パウリスタ新聞を去る時がそれほど遠くない時期にやってくるだろうと、児玉は腹をくくった。
 マリーナとの距離は急速に狭まり、土曜日の取材を終えてサンパウロに戻ると、マリーナはペンソンに戻らず、児玉のアパートに泊まるようになった。結婚を約束したわけではないが、日曜日にも取材があれば朝早いバスで目的地に向かわなければならない。二人で過ごすのが自然だった。
 どちらかということもなく、結婚を意識するようになった。取材がない週末はマリーナの弟ジョゼの家で過ごす機会も多くなった。マリーナの兄弟は十二人で、彼女は二番目、その下が長男のジョゼだった。
 グァイーラの高校を卒業して、日本人が経営する自動車販売店で会計事務の仕事をしていた。最初にサンパウロに出て、ジョゼの再就職先を探したのはマリーナだった。すでに幼馴染のリタと結婚し、サンパウロに出るのと同時に長男が生まれた。しかし、ジョゼはサンパウロ州立大学法学部に通い、週末も勉強時間にあてていた。
 マリーナとリタは児玉に気をつかってくれたかの、日本食を用意してくれた。
「そうめんを作るから食べて」(つづく)

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