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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第151回

ニッケイ新聞 2013年9月3日

「君がトレメ・トレメで遊んでいるのも、ボアッチ通いしているのも聞いていた。そんなことについて注意するつもりはない。ブラジルの土を踏んだ独身の男は皆そうやって遊んできた。しかし、結婚となると話は別だ。君はいずれ日本に帰ることがはっきりしているんだ」
「日本に戻ることくらい相手に説明して付き合っています」
「そういうことを言っているのではない。うまくいかないから思い止まれと忠告しているんだ。いいか、俺の女房は二世だ。君からみれば俺も二世のように見えるかもしれない。だがな、俺は日本で小学校六年までは教育を受けてきた。日本人の考え方がわかる。サンパウロで苦労しながら大学を卒業した。二世、三世の気持ちもわかると思っていた。結婚して二十年以上経つが、女房の考えがいまだにわからない。女房だけではない。二世、三世の考えがいまだに理解できないで苦労しているんだ。日本から来たばかりの君に何がわかるというんだ。今からでも遅くない。結婚は止めろ。その方が君のためでもあり、相手の女性のためだ」
「ご忠告は感謝します。しかし、遊びで付き合ってきたわけでもありません。一緒に生きていかれると判断したから結婚するんです」
 席を立ち、前山を残し児玉は応接室を出た。背中から前山の声が追ってきた。
「ブラジルは日本のようにハンコ一つで離婚できる国じゃないんだ。結婚したら離婚できないことをお前は知っているのか」
 児玉は一瞬ドキリとした。そんなことは知らなかった。しかし、答えた。
「もちろん知っています」
 前山はそれ以上何も言わなかった。

 結局、ブラジルの土を踏んでから二年目で児玉は結婚した。前山が連絡したのか、児玉の両親は日本から急遽、サンパウロへとやってきた。
 真冬の日本から真夏のブラジルにやってきた児玉の両親は初めての海外旅行で戸惑いっぱなしだった。
 サンパウロの中心にあるセ寺院とジョン・メンデス広場を挟んだ反対側にあるサンゴンサロ教会で式を挙げた。この教会は小野田寛夫とマチエ夫妻が式を挙げた教会でもある。
 披露宴をやる経済的余裕はなかったが、日本からやってきた児玉の両親が披露宴の資金を出し、ホテル池田でささやかな披露宴を開いた。両親は慌ただしいスケジュールで日本に戻った。
 結婚式を挙げたからといって翌日から生活が変わるわけでもなかった。週末になると、二人で取材に出かけた。マリーナの日本語力は二人で生活するようになってからは日ごとに増していった。しかし、児玉のポルトガル語の方は、マリーナに任せる分だけ上達が遅れていった。
 もう一つ変わったことと言えば、マリーナが妊娠し腹部が目立ち始めたことだ。マリーナは定期検査を個人の開業医に任せ、出産はポルトガル総合病院ですると決めていた。開業医はポルトガル総合病院の医師でもあり、彼がマリーナの出産を担当することになっていた。
 臨月に近くなるとマリーナに下見だと言われ、ポルトガル総合病院にも連れて行かれた。そこで思わぬカップルと遭遇した。小宮夫妻だった。小宮はベビーカートを押していた。
 小宮も叫子も、マリーナの腹部を見て、児玉が結婚したと悟ったようだ。
「児玉さんも結婚されたんですか。おめでとうございます」
 二人が祝福してくれた。
 児玉もベビーカートで眠っている子供を見て言った。
「お子さん、もう生まれたんですか」
 新生児の健康診断にやってきたところだと叫子は説明し、マリーナの大きなお腹に目をやりながら聞いた。「ええ、こちらの病院で出産されるんですか」
 児玉は二人にマリーナを紹介した。
 マリーナが三世だとわかると、小宮と叫子の会話は日本語から自然にポルトガル語に変わった。二人とも日本人よりブラジル人と付き合う機会の方が多いのだろう。
(つづく)


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