連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(36)

ニッケイ新聞 2013年11月1日

 簡単な機内サービスが始まった。
 女性機内サービス要員が僧侶の作務衣姿の中嶋和尚に、
「(宗教家のようですが、宗教上、禁止されている食べ物がありますか?)」
 言葉が分からない中嶋和尚に、西谷が助っ人に入った。
「宗教上、食べてはいけない物がないか聞いています」
「いえ、問題ありません」
 それを聞いて、西谷は機内サービス要員に、
「(問題ないです)」
「(ハンバーグと鶏肉のサンドイッチとで、どちらにしますか?)」
「(鶏肉を)」
 二人はサービスされた機内食を食べながら、
「仏教では、四足の動物は食べませんよね」
「おっしゃる通りですが、ブラジルで最初に食べた食事がジョージさんに勧められたビックリするようなこんなに厚い;豚肉(ちゃーしゅー)が入ったとんこつラーメンでした。その時私は、人の善意を踏みにじるのも罪ではないかと身勝手に・・・、本当は、空腹で耐えきれず、ありがたくいただきました。ところが、その間、お咎めがなく逆に『見知らぬ観音』さまに案内され、延命を司る『薬師如来』さまが現れ、お助け下さいました。本当に不思議な瞬間でした」
「『見知らぬ観音』とは?」
「はい、『私が知らない観音』さまです。あの宮城県人会館での法要の時も同じ方が現れ・・・。ブラジルには特別な『霊境』があるようです」
「レイキョウ?」
「『霊』とは『不思議な』と云う意味によく使われます。だから、神聖で不思議な地域です」
「ブラジルは、そんな神聖な所ではありませんよ。酷い所です」
「この世ですからそれは当然でしょうが・・・。その中に・・・特別なこの世があるような・・・」
「この世とはどう解釈すればいいのですか?」
 その質問に少し考え込んでから中嶋和尚は、
「苦界とも云われ。その苦界には・・・、地蔵菩薩が司る六道があり・・・、しかし・・・、ブラジルはそれに当てはまらず・・・、誰もが自然に振舞い・・・」
「ブラジルは違うのですか?」
「ブラジルに来て僅か一週間ですが・・・、この世の定義が違うように感じます。ここは何万年前の世界の様な・・・、仏教が生れる前の世界と理解すればいいのか・・・、それにスケールが大きく、私の定規では測りきれない世界、その中に、無限の可能性があって・・・、一言で言い表せない世界が・・・」
「無限の可能性ですか、三十五年前、初めてジャングルを前にした時、私も身震いしてそんな風に感じましたよ」
「この眼下に拡がる大地が私に向かって『挑戦してこい』と呼んでいる様にも思えます。何か・・・、私をわくわくさせるものが・・・」
 機体が僅かに前下がりに傾きブラジリアの空港に近づいた。機内要員が機内食の殻や紙コップを急いで回収した。