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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2013年11月1日

 レジストロ連載第66回にある、アリアンサ移住地建設を企図して発足した「信濃海外協会」の発起人の一人、小川平吉(国務院総裁)の子孫が、実は身近なところにいる。サンパウロ市の文協会長選挙に立候補した経験を持ち、聖南西文化体育連盟の広報理事として活躍している小川彰夫さん(二世、70)だ▼平吉の弟・脩平の息子正夫の子供にあたるという。平吉は1901年に近衛篤麿と共に上海の東亜同文書院創立に参画し、1903年に衆議院総選挙以来、当選10回を数える。対露強硬派の急先鋒だった▼国務院総裁の後、司法大臣、鉄道大臣を歴任するなど1920年代に政権中枢にいた長野県人だ。彰夫さんの父正夫は、やはり代議士の上塚司が主導するアマゾン移住に賛同し、第2回高拓生として1932年にパリンチンスへ入った▼上塚第2植民地の立案者の一人、粟津金六は32年当時、アマゾニア産業研究所所長をしていたが、勝手知ったるサンパウロ州の方が地味良しと説いたこともあり、第2回生の多くが南下し、正夫もサンパウロ州へ向かい彰夫さんはサンパウロ市で生まれた▼平吉が1942年に死去した時の葬儀委員長はあの頭山満。東京朝日新聞は通常一段の死亡記事に特例で2段見出しを立て、頭山の談話で日露戦争を回想させ、「小川君はそのころから尊敬すべき国士だった」と書いた。この小川一族は政界においては宮澤喜一、鈴木善幸、林銑十郎、吉田茂、財界では三菱の岩崎家にも姻戚関係があるという▼まさに日露戦争当時の〃国士〃の系列にある青柳育太郎が育て上げたレジストロ地方の百周年式典に、平吉の子孫が関わっているとは、一世紀に跨る日伯交流史の一幕だろう。(深)

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