霊が結んだ不思議な縁=兄の遺体に秘められた逸話=慰霊に来伯した荒牧さん=影の協力者と驚きの対面

ニッケイ新聞 2013年11月23日

写真=東京農大の慰霊碑の前で。左からブラジル農大会会長の沖、伊東、荒牧、墓守を自称するOBの川辺4氏。

 「まるでドラマみたいな話だった」。東京農大拓殖課を卒業後単身で渡伯し、40年前に逝去した兄直邦さんの慰霊に訪れた荒牧邦三さん(66、熊本)は、信じられないといった表情で事の顛末を語った。熊本日伯協会の会長で、10日に開催された熊本県人会創立55周年記念式典に出席するため初来伯した。念願の墓参を果たした荒牧さんは、無縁仏になる所だった兄のお骨を人知れず実家に届け、慰霊碑に奉った人物と偶然めぐり合った。兄の遺体に秘められたいきさつに、関係者は驚きを隠せないでいる。

 「熊本日伯協会の会員になって10年ほどになる。ブラジルに来て兄を弔うことは宿願だった。色々な方のおかげでそれが実現した」。荒牧さんは、沖眞一会長らと共にグアルーリョス市の市営墓地内にある東京農大慰霊碑を訪れ、故郷の飲み水と直邦さんが一番好きだった地酒を供えた。「本当にうれしい」と語るその表情はとても晴れやかだ。
 1968年に渡伯した直邦さんは5年後、南麻州トレス・ラゴアス市で中島重次郎さんが経営していたサンヨー牧場を見学に訪れた。牧場関係者らと付近の川に釣りに行き、泳いでいた最中に姿が見えなくなったという。3日後、奇跡的に下流で遺体が見つかり、同敷地内に埋葬された。
 それから1年後、たまたま同牧場に訪れた伊東信比古さん(県連事務局勤務、70、大分)が、「ここで日本人が死んだと聞いてもしやと思った。名前を確認すると、僕の同航者だった」と驚きの発見。牧場の経営者中島さんは、伊東さんが当時勤めていたサンパウロ市の会社の経営者でもあった。
 後に総領事館を通じてか、直邦さんの両親から牧場に遺骨の提供依頼が届いた際、遺骨を掘り起こしたのも伊東さんだった。「顎の骨や歯まできれいに残っていたので、下あごだけ取って渡した」と回想する。
 それから30年以上が経過—。舞台は変わって熊本県。邦三さんが熊本日日新聞社の常務に就任した時、同紙に31年間「ぶらじる便り」を寄せているジャーナリストの日下野良武さんは、「『自分にはブラジルで死んだ兄がいる』と初めて聞かされた」と語る。「無縁仏になっているのでは」と考え、沖会長らに相談し、同大慰霊碑に直邦さんの名前を刻んでもらったのが4年前のこと。
 そして今月9日、邦三さんがついに当地を訪れた。式典に先立ち慰霊碑を案内することになっていた沖会長は、偶々出くわした伊東さんとの立ち話の中で、この顛末を知った。「どこでどうやって亡くなったか、今回初めてわかった。伊東さんとは長い知り合いだったのに灯台下暗しだね。霊が結んだ縁だなあ」としみじみ語った。
 式典当日、伊東さんは「二人とも前からの知り合いだけど、こういった話があったとは初めて知った」と目を丸くしていた。日下野さんは驚きつつも「彼はずっと兄のことを思い続けてきた。今日、彼の顔がすっきりしているのを見て本当に良かったと思った」と喜んだ。