連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(51)

ニッケイ新聞 2013年11月28日

「・・・、それは・・・、コショウ栽培がやっと調子に乗ったころ・・・、コショウの葉に白い斑点が現れ、それから二、三週間後に突然立ち枯れになる病気が出ました。それで、第一トメアスのアカラ配耕地をあきらめ、感染から逃れる様に、密林の奥に分け入って第二トメアスを開拓しました。しかし、そこでも直ぐに病気が現れ全滅しました。日本政府の援助機関も研究所まで作り、その病気の調査をしましたが原因がつかめず、それで、我々十数人で奥地のそのまた奥の地図にも載っていなかったアユアスに、別名第三トメアスを作りました。文明から隔離されていたインディオに病気がない事をヒントに、徹底して外との交流を断ち、感染を絶ちました。それで、医者は勿論、薬屋、雑貨屋と、あらゆる者の侵入、つまり文化の進入を拒否し・・・、その結果、その代償として、原始的な生活を強いられました。ですが、私達はインディオのように密林の奥で生きる術を知らず、栄養失調、つまり、中嶋さんが言った『餓鬼道』の餓鬼になったわけです」
「そのインディオの生きる術とは・・・」
「インディオは、全てを自然から賄います。家を作るにしても屋根もベッドも全部自然の素材で賄い、快適な生活をします。ベッドは椰子の木から取れる綿の丈夫な糸のハンモッグで、涼しく、寝心地が良く、蛇や蟻や小動物の襲撃から守ります。主食は病気に強くて一年中収穫出来て、粉にして乾燥させれば蓄えもできるマンジョッカと云うイモ、それに、ミネラルや鉄分が豊富なアサイと云う小さな粒々のヤシの実、小川で魚、森ではハチ蜜、昆虫の幼虫や小動物を狩って蛋白質を補い、雑草からは、薬は勿論、麻酔薬、毒、覚せい剤、強精剤まで得ます。これ以上なにが必要なのだ?と彼等は我々に問うくらいです」
「インディオの術を学べなかったのですか?」
「あの頃、開拓精神旺盛で、ただ一攫千金をねらって黒ダイヤ、つまり黒コショウの栽培に夢中で、明けても暮れても黒コショウの事ばかりで、密林で生抜く術を無視したのです。それと、若さと、無謀な自信だけで、それを乗り越えようとしました。その結果が餓鬼だったのです。皆、自分が餓鬼である事さえ知らず、そこに、襲ったのがマラリアだったのです」
「・・・、大変でしたね。どんな毎日を?」
「朝は小鳥のさえずりで飛び起きます。電気がない所では太陽の明りは貴重です。直ぐに鍬や鎌を担いで暗いうちからコショウ園に直行し、雑草取りや水やりをしました。水やりと云っても、乾季には焼石に水で何の意味もありませんでした。それに、うっかり水をやると、根が太陽熱で蒸されてしまうのです。水を欲しがるトマトなども全滅させた事がありました」