連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(52)

ニッケイ新聞 2013年11月29日

「根が煮えるのですか」
「そうなんです。それから、陽が高く昇ると暑さで作業が出来ず、一旦止めます」
「何時頃ですか?」
「十時にはもう暑くて仕事が出来ませんでした。それから小屋で朝食を取り・・・」
「小屋とは?」
「住居までは二キロの距離がありましたから、コショウ園の木陰に仮小屋を作っていました。住居も踏み固めた地面に柱を立てた掘建て小屋です」
「踏み固めた地面?」
「ええ、踏み固めた土の床は湿気を適当に含み、外は灼熱の地獄ですが、意外とその小屋の土面の湿気は息をしてクーラーの様に働き、、我々にヒンヤリした憩いの場を与えてくれました」
「それこそ、インディオの知恵ですね」
「それもそうですが、このヒントは日本の土間でした」
「へぇ〜。それから午後は?」
「陽が昇っている間は仕事にならず、ハンモッグで昼寝をして、夕方、陽に赤みがかると作業を始め、真っ暗になる少し前まで作業し、寝泊りする掘建て小屋に戻りました。それから、ランプの下で行水と夕食です」
「修行僧みたいな毎日でしたね」
「その修行僧で思い出しました。アマゾンの奥で、インディオに有って我々に無かったものがありました」
「なんですか?」
「心のよりどころになる信仰です。あの頃、それが無かった私達は心の平静を失っていましたね」
「そうでしたか」
「インディオ達は、深い信仰心で自然や死者を神として祀り、心のゆとりがありましたね。私は病気して死を意識した時、初めてその事に気付きました」
「西谷さんは命をかけて、修行僧と同じ体験をし、それを悟られたのですね」
「修行僧はどんな毎日を?」
「山奥にこもり、山野を駆け巡り、水に打たれ、寒さに耐え、空腹に耐え、そんな毎日でした。ですが、修行には各々仕事の分担があり西谷さん達みたいに悲惨ではありませんでした。修行方法も千年の歴史を踏んだものですからね。厳しいですが、調和が取れていました」
「その調和とはきっと信仰心だったのでしょうね。今考えると、我々はまさに無信心で無謀でした」
「無信心で無謀でしたか・・・」
「そうだ、ジョージさんが言っていました。中嶋さんは無謀なボーズだと」
中嶋和尚は頭に手をやって、
「私も、彼から直接言われました。・・・、マラリアの症状とはどんな?」
「マラリアにかかると、三日三晩、高熱や急に襲ってくる寒さに震え、黒い尿が出た時、私は死を覚悟しました。そう聞かされていましたから・・・。それで、私がもうろう;朦朧となっていた時に、『西谷!西谷さん!』と叫ぶ声が聞こえましてね、観音様みたいな方が現れ、凄く輝く光が・・・、その後、気を失いました。死とはあんなものなのですね」