連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(74)

ニッケイ新聞 2014年1月8日

第十章 天尊(あまぞん)

少し経って、元気を取り戻した中嶋和尚は新聞紙大の紙に文字を書き、それを掲げて、

「法名は先駆者お一人お一人に授けるのが常ですが、今回、先駆者達の団結の強さを鑑み、法名を『天尊先宝(あまぞんせんぽう)拓団坊院(たくだんぼういん)』としました」

あの演歌好きの若い二世が手を上げて、

「恥ずかしい質問ですが、ホウミョウとは?」

「別のよび方で戒名といって、死んで仏になった時に授かる名前です。なにも恥ずかしがる事はありません。『聞くは一瞬(いっとき)の恥、聞かずば一生の恥』と言います。皆さん、このアマゾンの奥で、仏教の仏の字にも出会わなかったのは当然だったでしょう。それで、この機会に、仏教について説明させていただきます」

「お願いする。待ってました!」

「シー、静かにせんか!」

「それと、今日の日蓮宗による法要についてもお話しさせていただきます。・・・、日本へ仏教が伝わったのは、今から千五百年前、たくさんの偉大な古墳が造られた古墳時代から飛鳥時代になろうとしている頃、朝鮮の百済の国王より煌びやかな仏像と若干の経典が大和の朝廷に友好の印として送られて来ました。これが、日本に仏教が正式に紹介された最初の出来事でした。その頃、これから如何やって国を治めるか悩んでおられた大臣の聖徳太子は、仏教の教えの力で人間の尊厳や道徳心を高めて国家秩序を守ろうと考えました。しかし、それをめぐって朝廷の中で争いが起こり、その時、仏教に帰依された推古天皇、聖徳太子とそれに同調した蘇我氏が兵を起して反対派を滅ぼし、聖徳太子は憲法十七条を制定されました。その第二条に『仏教の三経を尊べ』と明記された事で、仏教を崇める時代となり日本は神話時代から脱皮し奈良時代がはじまりました。その七十年余り続いた奈良時代からさらに平安時代と時は移り、中国で天台教学を学んだ『最澄』と云うお坊さんが帰国し、聖徳太子が勧めた三経の一つ『法華経』を所依として密教などを加えた総合的な教えで・・・」

「ショエとは?」

「所依とは・・・、よりどころや頼ると云う意味です。で、その『最澄』は『法華経』をよりどころにして、『比叡山』に『延暦寺』を建立し、それを総本山として『天台宗』を開きました。・・・、同時代に、『空海』、後の『弘法大師』も中国から密教の正系を継いで『高野山』の『金剛峰寺(こんごうぶじ)』を総本山とする『真言宗』を開きました。彼等の努力と朝廷の後押しを得て仏教は日本に深く根を下ろしました。それからさらに時代は移り、十二世紀に入って力をつけた武士の時代の鎌倉時代となり、『親鸞』が『浄土宗』の開祖である『法然』を師として『浄土真宗』を開き、『阿弥陀仏』に帰命(きみょう)する意として『南無阿弥陀仏』を唱え、それを『念仏』として拡げました」