連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(79)

ニッケイ新聞 2014年1月16日

「西谷さん、この方達、大正生まれの古根性の叔父に会ったみたいです」

「特にアマゾンへの移住者がなくなり、この方達は、何十年も、新しい日本人と接する事がなく現代社会から取り残されてしまったのですよ。だから近代化されなかったのでしょう」

宴会は、婦人会がさし入れた夕食で、夜まで続いた。

痩せて、背筋がビシッと伸び、真っ黒く日焼けした顔に真っ白の髪と髭がよく似合う老人が、

「和尚さんは日本からこられたのですね?」

「はい、先週、サンパウロに着きました」

老人は動物みたいに鼻を動かし、

「日本の匂いがプンプンしておられる。日本は経済発展して素晴らしい国になりましたね」

「世界第二位の経済大国と言われますが、私達若い世代には、その日本のなにが素晴らしいのかさっぱり解りません。日本には?」

「五年前、団体の観光旅行で行きました。日本はすごく幸せな国になりましたね」

「私にはその幸せが解らないのです。それで、私自身、たくさんの悩みを持ってブラジルに来ました。今の日本の幸せがどうしても分らないのです」

「それは、幸せを計る基準と云うか、比較するものがないからじゃないですか。昔の日本を知っている私から見れば、今の日本は素晴らしい国です」

「それが解るのは、現に、昔の日本人でおられるからでしょう」

「昔の日本人と云えば、先月、最後の勝ち組の野田さんを亡くしました」

「勝ち組とは?」

「ご存じないですか?」

「いえ、何の事でしょうか?」

「昭和二十年の終戦時から昭和二十五年頃まで、日系社会が勝ち組と負け組に分かれ、抗争が起こったのです」

「と云うと・・・、戦争に勝ったか負けたかで日系人が分かれたのですか?」

「ええ、その通りです。サンパウロのサントス港に日本の軍艦が我々を向かへに来ると信じた人やそう信じたかった人達で港が大騒動になったり、そして、サンパウロでは、勝ち組の組織となった臣道聯盟の活動員に日本の敗戦を認めた退役陸軍大佐の脇山氏が殺されたり、『決死報國』と書かれた日章旗を腹に巻いた蒸野に文教普及会事務局長の野村氏が殺されたり、全部で二十名以上の方が負けを認めた事が原因で暗殺されました。このアマゾンでは、皆おとなしくしていましたが、随一トメアスの監獄に入れられたのが野田さんで、堅物ではなく皆に好かれた方です。この宴会に参加してもらいたかったです」

「なんで、監獄に・・・」