連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(87)

ニッケイ新聞 2014年1月29日

中嶋和尚は二度続けて『般若心経』を盾として、大自然の挑戦に逆らった。どうしてこの経典を唱えたのかは彼自身も分からなかった。

二台のジープは競ってエンジンをかけた。

「出発です」

タイヤ交換を手伝っでズボンを少し汚し、シャツを汗で滲ませた西谷の声に中嶋和尚は我に戻った。

「あっ、はいっ」

エンジン音は、中嶋和尚を飲み込もうとした大自然の龍を追払った。

「中嶋さん、何を祈っていたのですか?」

「あれは、『般若心経』と云って、一番ポピュラーで、凄く凝縮、簡素化された優れた仏典です。ですが、私には難しくて・・・、理解しようとすればするほどこんがらがって、私を悩まし、しばらく遠ざけていたものです」

「それをどうしてあそこで?」

「分かりません。ただ、ジャングルから迫ってくる、そのー・・・、あの鳥の声や色々な自然の叫びに対し・・・、なぜか『般若心経』が・・・、それから、西谷さんの声を聞くまであまり憶えていません・・・。無意識に縋った様な・・・」

「無意識に?」

「どうしたのでしょう。私には分りません。色んな経典を勉強しましたが、理解しきれなかった『般若心経』にここでどうして私が縋ったのか・・・、なにか『般若心経』がほんの少し分かった様な・・・、本当に不思議です」

「『般若心経』とはどう云うものですか?」

「『般若心経』は、お釈迦さまの悟りを綴ったもので、三蔵法師のモデルで有名な唐の玄奘和尚がインドから中国に持帰った沢山の仏典を漢訳して、後で二文字が加えられ二百六十二字に凝縮されたものです。私は読誦(そらで読む)出来るまで勉強しましたが、唱えるほど意味が深くなり・・・」

「難しいのですか?」

「すばらしい仏典で、明朗で難しくないのです。ですが、先輩に『般若心経は大般若経の六百巻の結晶であって、仏教の根本的な教えであり。仏門に携わる者は誰でも理解しなくてはならない』と言われ、『理解しました』と返答したら、『意味が解っても、お前の心が理解しなくては』と意味が分からない事言われ、それで焦って、『我と云う自分の実体がないものとして捉えて、どうのこうの』と云うあたりで、単純な私の頭と心が調和せず。それに、先輩に『お前の様な現代人ぶりする者には無理だ』と言われ、自信をなくし・・・」

「私達は現代人ですよ! 何も文句言われるいわれはないですし、中嶋さんも自信なくすことありませんよ」

「それで、私も怒って『現代人じゃ無理とすれば、時代遅れの先輩なら理解出来るのですか・・・』、と先輩に反抗して・・・、それがもとで、ずっといじめにあい、『般若心経』に恨みまで感じていました」