連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(95)

ニッケイ新聞 2014年2月11日

「そうです。それで、修行僧達が集まり、その教えを文字にまとめ経典が生れました。その後も三回、同じ事が行われ、経典の数も増え、教えの解釈にも差が出て宗派が生まれ、沢山の御経が出来たわけです」

「その中の一つが『ハンニャ』なんですね。仏教の話を聞いているうちに、古川との喧嘩がアホらしくなりました」

夕食が出来た。食卓に座り、

「これは?」

「野菜のかき揚げです。健康には最高です。これを味噌汁に浸して、それから食べると美味しいですよ」

「こうですか?」

「そうです」

「うっお、美味いですね。モジにいたころに食べた気がします」

「門司? 日本におられたのですか?」

「いえ、モジとはモジ・ダス・クルーゼスと云う町で、ここから、五、六十キロ離れた田舎町です。そこで生まれ育ちました」

「じゃー、お母さんの味ですか。御両親は今?」

「親は野菜農園をやっていましたが。私が七才の時に強盗グループに襲われましてね。母も父もその時の傷で数日後に亡くなりました・・・」

「そうだったのですか」

「それから、ずっと孝徳叔父に育てられました」

「両親にしろ、叔父さんにしろ、その生い立ちが、今のジョージさんのパーソナリティーになっているのですね。だから、私の様なやっかい者の面倒まで・・・」

「『ハンニャシンギョウ』から見れば当然ですよ。皆、『エン』があって、友達ですから」

「不思議です。日本を離れ、壮大なブラジルに来て、仏教を大きな観点から見る事ができ、だいぶ頭の中が整理整頓されてきました」

「それで、中嶋さんはこれからどうします? 日本へ帰られますね?」

「それが・・・、帰りたくありません。ブラジルが好きになってしまいました。それに、是非、ローランジアと云う町を訪ねてみたいし」

「あの死んだボーズさんがいた田舎町へですか?」

「あそこに、なにか大事な事が、待っているような・・・、なにかが呼んでいるような・・・、そんな気がします。それで・・・」

「そうですか。・・・、同行したいですが、来年のブラジル移民百周年記念行事の説明会が旅行業界にあるので、サンパウロを離れられないのです」

「同行だなんて、とんでもありません。一人で行けますからご心配なく」

「歩いては行けませんよ。それに、まだ一人旅は危険です。特に無謀な中嶋さんはなおさらです。・・・、何か良い方法はないか・・・」

「大丈夫です」

「そうだ、フルカワの奴が、『ローランジアを一度、取材しなくては』と言っていた。奴に同行させるか、しかしなー、奴に頼むのは嫌だし・・・」

「あの、喧嘩した方ですか?」

「ええ・・・、如何しようか?・・・。頼んでみるか!」

ジョージは一分ほど考えた後、携帯電話で、

「フルカワ?」

【そうですが。どなた?】

「インテルツールのジョージだ」

【ほほー、謝りの電話とは珍しい。それで、わざわざ携帯に電話してくるとは・・・、いつ俺の番号を?】

ジョージは古川記者の嫌味を無視して、

「ローランジアに取材に行きたいと言っていたな、それで、バス代払ってやるから行かないか?」

【バカ言うな! いくら貧乏でも、バス代がなくて行けなかったのじゃないぞ! それに、お前がバス代を払うとはなにか魂胆があるな】

「フルカワは運転出来るのか?」

【当ったり前だ! 車が無いだけだ】

「よし! 会社の車を貸すから取材に行ってもいいぞ、その代り、ボーズを一緒に連れてってくれ」

【そうだろうと思った。ボーズをローランジアに連れてってもらいたいなら最初から素直にそう言えばいいじゃないか! このー】

「『ハンニャシンギョウ』ではここで怒るなと話している」