連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(104)

ニッケイ新聞 2014年2月22日

「そうでしょう! いやー、こんな所でお会い出来るとは思ってもいませんでした。参加者の多かった団体旅行でしたから覚えていらしゃらないと思いますが、熱心に見学されておられた貴方が印象的で覚えています」

「あのツァーでご一緒だったのですか? 人生は面白い巡り合わせをさせてくれますね。私はあのツァーで海外志向になり、すぐブラジル布教に志願しました」

「ブラジルに何年ですか?」

「もう五年になります。あっと云う間ですよ」

「『般若心経』で云っている事と同じですね」

「そうです。まっ、こんなところでなんですから、居間でお茶を・・・、こちらへどうぞ」木造建ての家屋に案内された。

「今日は土曜日だし、暑いので、お茶よりもビールにしましょう」

古川記者はそう言いながら街で買った缶ビールや米やドライソーセージを車から降ろした。

「お土産です」

「いやー、お土産まで・・・、ありがとうございます」黒澤和尚は顔の前で手を合わせてお礼を言って、素直に受け取り、

「もっと冷えたビールがありますからそれを」と、冷蔵庫からビールを出し、コップに注ぐと乾杯した。乾杯で一口飲むと台所にトンボ帰り、古川記者から貰ったサラミを輪切りにして皿に盛って戻ってきた。

「改めて、カンパーイ!」三人は昔からの親友のように溶け合って乾杯した。

「中嶋さんの宗派は?」

「家は代々浄言禅宗(架空)の寺の住職ですけど・・・、その宗派の事で迷っているところです」

「そうですか・・・、これは誰にも言わなかった事ですが、私もそうでした。親から強制されて僧侶になるのはいやだと強い反抗心がありましてね、それで、あのカンボジア旅行に参加し、一度なにもかも白紙に戻して考え直そうと・・・、それでもスッキリせず。それで、志願してブラジルに来ました」

「それからもう、五年経ったわけですね」

「このローランジアに着いてからは、仏の存在を強く感じ、不思議に心の迷いがなくなりましてね。それに、先住の井手善一和尚の事を知れば知るほど僧侶とはこう云うものだ、こう云う使命があるのだと、ハッキリ見えてきまして僧侶になる決心がつきました」

「そうでしたか。私も僧侶になる事に不安を持っていました。その時、井手善一和尚から私の父へ宛てた手紙を見て、なにかに救われた様な、それでブラジルに飛んで来ました。きっと何かがあると・・・」

誰もいないと思っていた本堂から二十人あまりのブラジル人と一人の日系女性が出てきた。

「あっ、座禅が終わったようだ。ちょっと失礼します」黒澤和尚は居間を出た。

五分ほどその一団と話して戻ってきた。

「毎週土曜日の午後、座禅にブラジル人達が集まります」

古川記者がペンを取って、

「中嶋さん、座禅と云いますと、禅宗ですよね」

「そうです。禅宗は六世紀頃、インドの僧達磨により中国に伝えられ、十二、三世紀頃、栄西が『臨済宗』(りんざいしゅう)、道元が『曹洞宗』(そうとうしゅう)と云う形で中国の宋に学び日本へ伝えました」

「ここは天禅浄宗(架空)で禅はしませんが、ブラジル人は、仏教は坐禅をする宗教だと思い込んで、坐禅を是非にと無理にたのまれ・・・」

「黒澤さん、禅問答は?」古川記者が早速メモを出して取材を始めた。

「勿論しません。禅問答をするのは臨済宗で、看話禅(かんなぜん)と云って禅問答を重んじますが、ポルトガル語をちゃんと理解していないと不可能だし、それに、常識を超えた禅問答は立川談志と問答するくらい難しいのです。私には到底出来ません。それに対し、曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と云って禅問答をせず、ひたすら坐禅で心を修します。それで、ここでは曹洞宗を真似て、週に一回、坐禅をやっています」