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ニッケイ新聞 2014年4月12日

 関塚隆さんはJリーグ創設期の93年、ジッコがいた鹿島アントラーズで2軍監督を務め、クラブの誕生を内側から見つめていた。ジッコ招聘には「〃歴史のあるチームを作る〃という考え方が鹿島にあったのでは」と捉え、「当時としては珍しいクラブハウスなどの施設建設にはブラジルを参考にしたようだ。その環境を今、他のクラブも参考にしている」と話す。また「施設だけでなく、ジッコからはプロ精神など学ぶところは多かった」との言葉からは、Jリーグ創立時から日伯サッカーの絆が深かったことが伺われる。

本門佛立宗妙深寺の初代住職だった清水日博上人は、「どうしてもブラジルに行きたい」と、病に苛まれながらも1955年に来伯し、その数年後に他界したという。同上人から「ブラジルの本門佛立宗はすごい」と聞いて育った長松住職は、「僕たちがブラジルから勉強する時が来た」と力説。今年9月には僧侶45人が来伯し、全伯の寺を1週間かけて回り、当地の伝道活動や信仰の仕方を体験するとか。

同宗はスリランカにも別院があるが、一日の奉公(仏の道を実践すること)に約400人が参加。しかも、「一人も日本人はいない」とか。30メートルの高さから落下して頭蓋骨骨折した4歳の子どもが、信者の祈りで意識が回復、長松住職自らの祈りで歩き、喋れるようになったという奇跡談も。しかし来場していた信者は「こういう話はよくある」と不思議でもない様子。やはり「信じるものは救われる」か。