安永家百周年を盛大に祝う=3人から410人に一族繁栄=日系社会の屋台骨の一本に=「今日の絆を永遠に」

  安永家は1914年に熊本県玉名郡から3人が移住したことから始まり、今では410人にまで増えた。出発点であるプロミッソンに20日、一族350人が集まって百周年を盛大に祝った。数もさることながら、全伯各地に広がって文協役員、進出企業幹部にもなっている。いわば日系社会の屋台骨の一本といえそうな家系だ。日本の親族からも安永愛子さん(30)=熊本市在住=が出席し「日本の安永家は少子高齢化でこんな機会はない」と感嘆、「今日の絆を永遠に続けていきたい」と式典で涙ながらに挨拶した。

 朝一番に一族は上塚翁の墓石前に集まって焼香し、同じ墓苑内にある安永家墓地でも読経礼拝し、その様子を地元テレビTEM、NHKが終日取材した。
 「〃移民の父〃上塚周平翁の墓守」と呼ばれる二世最長老の忠邦さん(93)は上塚植民地で生まれ、今も同じ場所に四世代が同居する。引き締まった表情で「安永一門が全伯からこれだけ集まったのは初めて」とあたりを見渡しながら感激した様子で語った。
 続いて安永農園内にある旧本宅に移動した。ここは終戦の年に建設された大邸宅で、忠邦さんの息子和教さん(67、三世)は「一時はここで45人が共同生活し、40人が生まれた。ここから全伯に広がった」と説明した。懐かしそうに自分が住んでいた部屋のことを若い世代に説明する姿が見られた。「毎月6俵(360キロ)の米を食べていた」とは忠一郎さん(72、三世)。今はブラジル人の番人が住むのみだが、すり減って窪んだ床の煉瓦がここで重ねられた歴史の重みを物語っていた。
 午前11時前、忠邦邸の前庭に特設された会場で式典が、仏式法要から始まった。同家所縁のリンス西本願寺の岡山智浄主管が追悼の読経をし、家族来歴を語った。
 各世代代表の挨拶で二世の留意治(ルイス、77)さんが「父祖は質素でありながら勤勉、子孫に教育を与え、ブラジル国民の信頼をえた」、三世の和教さんは「今日は朝から感激続き。次の百周年に向けての出発点です」、四世の孝義さん(41)は「安永家の一員であることが誇り」、五世のラファエル孝義さん(20)も「次の世代にバトンを渡したい」と流ちょうな日本語で語った。
 来賓の山下譲二ブラジル日本文化福祉協会副会長は「安永家の歴史は106年を迎える移民史の歴史そのもの」と語り、ノロエステ連合日伯文化協会の白石一資会長も「良耕さん(忠邦さんの父)に弁論大会の文面を書いてもらい、暗記したおかげで人前でもしゃべれるようになった。伯雄さんも本当にコロニアに尽くした人」と讃えた。
 忠邦さんの兄伯雄さんが9期38年間もプロミッソン市議を務めたのを先頭に、忠邦さんも同地文化体育協会会長、修道さんはマリンガ、和教さんはリンス、信一さんは飯星ワルテル補佐官、博道さんはカンピーナス、邦義さんはブラジリア、本田泉さんは救済会専務理事、エジソンさんはプロミッソン市議、関二さんはブラジル住友電装専務、益博さんは「ミドリ安全」顧問など要職者を挙げればきりがない。
 出席したハミルトン・フォス市長は「安永家発祥の地である旧本宅を今年中に市の史料館に改装したい」と宣言し、一族から喝采が送られた。年始から5回の家族会議を開いて話し合い、近隣の数十人が数日前から飾りつけや食事の準備に奔走した。盛会の祝典そのものが一族団結の結晶だった。