コラム 樹海

ニッケイ新聞 2014年4月26日

 本紙の提携紙である「沖縄タイムス」で、4月14日からの毎週月曜日、カンポグランデのそばをレポートした連載を掲載している。全4回で、サイトでも見ることができる。8月14日には沖縄から慶祝団を迎えた100周年式典、それにあわせ毎年のソバ・フェスティバルも開催する。3月に取材で訪れたさい、そばの歴史と、邦字紙の浅からぬ縁を知った▼沖縄移民は家でもそばを作り、多くの二世のおふくろの味となっているが、商売となったのは戦後のこと。1954年に市内のバールで提供を始めた友寄英芳氏は、本紙の前身であるパウリスタ新聞の代理人だった。近郊で野菜づくりに励む県人らは、夜も明けきらぬうちに市内で行商を行い、友寄さんの店で新聞を受け取り、読みながらそばを啜っていたという▼長く本紙の代理人を務め、屋台でそばを始めた先駆者の一人、勝連ひろしさん(故人)の妻安子さんに聞いた話も感慨深いものだった。亡くなったその日、いつものように外でビールをひっかけて帰宅した勝連さん。調子が悪かったのだろう、夕食もそこそこに立ち上がった。「新聞のレシーボは棚の上にまとめてあるから」と安子さんに伝え、寝室への通路で倒れこんだ。今際の言葉は新聞の集金を気に掛けたものだった▼戦後移民が少ないカンポグランデの一世はごくわずか。もちろん本紙の購読者も少ない。現在の代理人である勝連さんの息子武さんは公設市場でそばの店を経営しており、好評のようだ。いまや市の無形文化財で市民食となったそばを伝えてきた人が、新聞も支えてきたわけだが、隆盛と衰退。これも一世紀の歴史の一部だ。(剛)