連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(172)

 法要が終わった一時間後、境内の施設で、このお寺を紹介した西谷副会長の奥さんと娘さんが田口聖子を偲ぶ茶会を用意していた。
「お茶をどうぞ。このお寺の裏庭で摘まれ、住職ご自慢のお茶です」
 美味しいお茶の話題が一段落したところで中嶋和尚が、
「皆様、今日は田口聖子さん、戒名『聖正堂阿弥陀尼院』さんの法要に集まっていただき有難うございました。西谷さんの奥さんには手作りの巻き鮨とお茶会の用意をしていただき、ジョージさんと古川さんには茶菓子を提供していただき、この法要が無事、実施出来ましたことにお礼申し上げます」
 黒澤和尚が法要中に密教の術と中嶋和尚の加勢で得た霊託を報告した。
「法要中『地蔵菩薩』さまの使いとして『聖観音』さまが現れ、《『聖正堂阿弥陀尼院』は日本の親族による法要で、獄録と云うエンマ帳での書類審査をパスし、無事あの世へ向かっている》と霊告がありました。それと、『聖正堂阿弥陀尼院』さんからの霊託も伝えられました」
 古川記者は取材の手を止め、
「ええっ! 彼女から! 取材は直接出来ないのですか? 畜生! 世紀のインタビューを逃がすなんて、なんて事だ!」
「?」
「黒澤和尚、その霊託で、どう云う事を?」
「『聖正堂阿弥陀尼院』さんは《森口氏の件を解決していただき、無事成仏する事が出来、誠にありがとうございました。皆様の幸せをお祈ります》です」
 西谷が、
「中嶋和尚、ローランジアでは身体を壊して入院されたそうですが、大丈夫ですか?」
「密教を甘くみていました。それで、危うく命を落すところでした」
「密教は厳しいのですか」
「身体も鍛えなくてはとても勤まりません。黒澤和尚から密教の奥義を口伝えしてもらえるよう、これからローランジアで心身共に修行に励みます」
「中嶋和尚、あのトメアスの宴会で聞いたのですが、戦前移住の前田光世と云う方がベレンの町で最期に残した言葉が『日本の水が飲みたい』だったそうです。この言葉がすごく心に残りましてね」
「最期の望みが『日本の水』ですか・・・、なんと心に沁みる言葉でしょう」
 頷きながら西谷が、
「そうなんです。開拓移民としてブラジルに渡った我々の心を代表しています。この方は、ブラジル人から『コンデェ』と呼ばれ親しまれていました」
「『コンデェ』とは?」
「ポルトガル語で『伯爵』と云う意味です。高貴な風貌の方でした。アマゾンで柔道普及にも尽くされ・・・」
「あだ名が伯爵ですか・・・、その方が『日本の水が飲みたい』と・・・」
「先駆者の最期の言葉が『日本の水が飲みたい』だったとは、この言葉には、死を直前に『日本の水が飲みたかった』と率直に自分の心を告白し、それでも未練は『日本の水だけだよ』と強がりと人生の達成感を言っておられる様にも取れるし・・・。『日本人として生き抜いてきたのだ。最後に日本人として日本の水だけでも飲みたいなー』ともとれるし・・・」
「私の最後の言葉も『日本の水が飲みたい』でありたいですね」
 中嶋和尚は、トメアスで飲んだカビ臭い水を思い出しながら、
「それに『日本の水が飲みたい』とは先駆者達の『達成感』と共に、日本に対し『美味しいだろうなー故郷の水』と思い『望郷』と『敬意』を表し・・・、なんて素朴な言葉でしょう。苦しみも、悲しみも、そして嬉しさまで、考えれば考えるほど、たくさんの意味が含まれていますね」
「本当に・・・、そうですね」