連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=6

 「行きはよいよい、帰りは恐い」のごとく、来る時には初めて耕地の外に出て、嬉しさと物珍しさで気が付かなかったのだが、所々牧場の中を通って来たらしく「気の荒い牛に追われて、息絶え絶えに逃げ、恐かった」の話を思い出し、急に恐くなった。
 遠い丘の上の牛の群れを尻目に、1リットルの酒のビンを持ち直すと急ぎ足で家に帰った。家でも初めて使いに出した息子を案じていたらしく喜んで迎えてくれた。家の中にはでっぷり太った鼻髭の小父さんが居た。まぎれもなくこの人が同郷の成功者の大塚さんだ。あいさつをして大事に持ち帰った酒瓶を母に渡した。
 大塚さんの座っていた石油箱で作られた即席のテーブルの上には、日本を出て初めて見るおいしそうな饅頭が山と詰まれていた。大塚さんのお土産にちがいない。腹の虫が頭をもたげて騒ぎ出しぐうぐうなった。誰にも悟られないようにと急いで出ようとしたら、母が「もう皆頂いたのだから小父さんにお礼を言って頂きなさい」と小父さんの前に押し出された。
 小父さんにお礼を言って二つ三つ頂いて出ようとしたら、小父さんが「もっと食べなさい」と言ってくれたので、さらに三つ程貰うと、表に出て行き、草の上に腰を下ろして、ゆっくり心ゆくまで日本の味を満喫しながら、ブラジルでも饅頭が出来るのかと思った。
 今夜は積る話もあるのだが泊まって頂ける所がないので心配だった。でも耕主の三坂さんの所に世話になるようになっていて別の話があるとの事だった。次の日に聞いた話は思いもかけないものだった。それは僕が一カ月程、大塚さんの所に棉摘みの手伝いに行く事に耕主の許可が出たとの事だった。本当は兄貴と僕の2人を希望したのだが、耕主が2人はダメだが1人ならとしぶしぶ承知したのだそうで、僕だけ今日大塚さんと一緒に行くのだと言う。今まで父母の傍を離れた事がなかったのに、一カ月もの長い間、別れて暮らす……不安はあるが、棉摘みという新しい体験。第一、棉と言うものを見たこともなかった僕は、一カ月位だったらとの好奇心に心膨らませた。

第二節 見分を広める新天地

 棉、棉、棉。見渡す限り白い棉畑。三坂耕地では周囲一体がコーヒー園の波だが、ここは別天地。棉ばかりで白一色だ。所はアグァ・デ・セロッテという35家族程の日本人の集団地で、300アルケール程ある。規模の大きさにも増して驚いたのは、食事の豪華さ。真っ白い米に野菜や鶏肉が食卓に並んでいる。父母を始め家族の皆に食べさせてやりたい、自分だけ食べてもよいのだろうかと思ったりして食べるにも戸惑い、自分だけ食べてよいのだろうか、などの思いがこみ上げて、新移民生活の哀れさを痛感し、せっかくの御馳走を前に涙を隠すのが精一杯だった。
 翌朝は家の周囲と野菜畑を見て回る。数え切れないほどの鶏があちこちにいて、数多くの親鶏は10羽程の雛を連れ、餌を漁って走り回っている。その裏側には10匹ぐらいの豚がブウブウ騒いでいる。その直ぐ隣には余りにも肥えた豚が寝そべりながら餌を食べている。これらは皆自家用で食卓に上るのだそうだ。
 聞いただけで生活の差を感じる。ある程度の栄養の高い物は生身には欠かせない。例えば卵位は1週間に二つ位は欲しいもの。耕地に帰ったらおやじに話して耕主の三坂さんに金を貸して貰って鶏の10羽位飼うようにしたい。転ばぬ先の杖だ。