イヴェス・ガンドラ・マルチンス=日本文化との接点は学友=渡辺マリオから母の話聞く

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 有名法律家のイヴェス・ガンドラ・マルチンスさんに日本文化との最初の接点を問うと「大学時代の親友が日系人だったから」と答えた。名を聞くと「渡辺マリオ」(故人)、日系社会では「日本移民の母」とも呼ばれる渡辺トミ・マルガリーダ(1900―1996、鹿児島県)の息子だった。
 学生時代、マルチンスさんと渡辺マリオさんはそれぞれ恋人を連れて、カップル二組で週末によく遊びに行った。そんな時、マリオさんから母親の救済事業のことを部分的に聞かされていた。
 公の場での日本語の使用すら禁止された大戦中、カトリック教会の庇護の元に、果敢に邦人救済活動を実行した女性指導者が渡辺マルガリーダだ。
 1942年1月にリオで開催された米国主導の汎米外相会議において、ブラジルは対枢軸国経済断交、国交断絶を決議した。ドイツはその直後、米国の補給路を断つために大西洋上のブラジル艦船を次々に潜水艦攻撃で沈めた。この被害補償のために、ブラジル政府は同年2月、枢軸国側移民や企業の資産凍結令を出し、なんの罪もない邦人がスパイ容疑で次々に政治警察に拘束される受難の時代に入った。
 1942年5月13日、政治社会警察(DOPS)によってサンパウロ市の移民収容所に収監された邦人に、渡辺マルガリーダ女史はセーター80枚を買って差し入れた。これが「サンパウロ市カトリック日本人救済会」初の活動だ。本来なら集会すら不可能だった時代に、迫害を受けていた日本移民への深い理解をもったドン・ジョゼー・ガスパール・デ・アフォンセッカ大司教の助力により会を組織し支援活動を開始した。
 翌1943年7月、サントス沖で起きたドイツ潜水艦攻撃を受け、枢軸国側移民サントス強制立ち退き令が出された。24時間以内という無謀な行政命令で、泣く泣く土地や財産をたたき売り、手に持てるだけの荷物をもって列車に乗せられた。サンパウロ市に送られてくる日本移民の避難民6500人の世話をしたのも救済会だった。
 1967年11月末までの25年間に、なんと延べ人数で6万1403人を救済したと『救済会の沿革とその事業』(1968年)にはある。
 途中、同会は1953年5月に正式な慈善団体に改組し、ポ語名称に同大司教名をつけた。サンパウロ日伯援護協会や姉妹団体ともいえる各福祉団体が徐々に誕生する中で、その事業を高齢者福祉に絞り、移民50周年(1958年)の機に「憩の園」を設立した。

 サントス強制立ち退き=ブラジル近代史の一部=「ドナ・マルガリーダは列聖調査に値する」

ドナ・マルガリーダについて語るマルチンスさん

ドナ・マルガリーダについて語るマルチンスさん

 USP法学部を卒業したマルチンスさんが1960年代、最初に法律事務所を構えたのは、東洋街のすぐ近くにあるジョン・メンデス広場だった。そこには日系人が集まるサンゴンサーロ教会があり、武内重雄神父が司る朝7時からのミサに、彼も毎朝参加していた。教会内には渡辺マルガリーダが創立し、自ら長年会長を務めた聖母婦人会もある。
 救済会によるサントス強制引上げ者援護の話をすると、歴史に詳しいはずのマルチンスさんも知らなかった様子で、「マリオのお母さんとは時々、教会で顔を合わせて挨拶をする間だったが、サントスの話は初めて聞いた。それはまさにブラジル近代史の一部だ」と唸った。
 マルチンスさんは〃法王の先兵〃の代名詞で知られる「オプス・デイ」入信を、ブラジルで最初に公にした筋金入りのカトリック信者の一人としても有名だ。
 「マリオのお母さんは日系コミュニティだけでなく、ブラジル近代史にとっても重要な役割を果たしていたんだな。彼女は列福・列聖調査(canonizacao)をするのに値する。喜んで協力しよう」と感慨深げに何度も頷いた。
 カトリック教の総本山バチカンが「聖者」と認定するための列聖申請には、大変な手間と時間がかかるといわれる。渡辺マルガリーダが創立した救済会は、困難な立場の日本移民を助け続けて72年目を迎えた。移民の苦難に寄り添いながら、手を差し伸べて来た福祉団体の先駆けだ。
 この列聖申請が認められたなら、日本移民史がブラジル近代史にしっかりと組み込まれ、バチカンがそれを認定したことになるといえそうだ。