連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=11

 コーヒーの採集は大変な仕事なのだそうだ。この時期になると、朝早くは霧がかかり、露が多くて下半身はびっしょぬれる。うっすらと霜も降りる。青い実は落ちにくく、手は痛く、血がにじみ出る毎日だ。それが6月の末ごろまで続くらしい。叉コーヒーの木には蜂の巣や毛虫も多く、毛虫に触れたら火に焼かれたように肌が痛み、その日一日中苦しむそうだ。また青蛇も一メートル位のが居て、人に危害はないが気持が悪い、などの話を聞いて恐ろしくなった。
 さて収穫の初日、監督さんが来てコーヒーの木のそばで、「実のいっぱい付いている枝を片手で持ち、もう片方では実を包み込むようにつかみ、枝を傷めない様に、気を付けながら1粒も残さぬよう、手前に引き抜く様に」と丁寧に説明してくれた。その他、蜂の巣はその日はそっと残しておき、巣から出てこない朝早く、湿気のある間に枯れ草で巣を焼いてから実を落とす事や、毛虫は刺されたら「葉裏に隠れていて運が悪かった」とあきらめる外にはないが、それ程ひどいものではないなどと、こまごまと注意をしてくれた。
 なるほど青い実はしぶとく落ちにくく、夕方になると指先からうっすらと血がにじんで痛い。先月経験した棉摘みとは比べ物にはならない。だが皆が何十年と続けている作業だ。出来ない訳はない、我も人なりだ。
 なんでも同じだが、良いところも悪い所もある。良く実った所もあれば、実の付きの悪い所もある。運に良く恵まれたら収穫も多いが、そうでないときもある。「人生には運に左右される部分が半分はある」事が思い知らされる。人生と言う事に付いて少年ながらも考えさせられる。
 痛い指で、朝露に頭からずぶぬれになりながらコーヒーを摘む。そんな人生の務めの積み重ねが人間を成長させる。
 蜂に刺され、毛虫に刺される毎日の内に収穫が終わり、耕主の三坂さんは使用人の慰労と豊作を喜ぶと共に、各自の健康は心の上にあるらしい。牛一頭を提供して体力の向上に役立てたいとの思いで、どの位のキロ数になるか知らないが、びっくりするほどの肉が届けられた。先日の大塚さんの焼鶏の比ではなく、どう処理して良いか方法も知らない。塩漬けにと言っても、その塩を買う金もない。馬鹿馬鹿しい様な話だが、どうしたら良いかという問題は実に切実な共通の悩みだった。
 そこで山崎さんが「家に食べごろの若鶏が居るので、それを売店に行って買ってもらい、それ相当の金で買えるだけの塩を買って、この場を凌ぐのはどうだろう」との案に、第2耕地の上川さんも名案だと賛成し、急場を切り抜けるという事になった。そんな笑い話にも残るような時代があったのだが、振り返ってみてこのように笑える日が来るなんて、夢にも思わなかった。同じ様な色々な苦労話など見聞きしながら、ブラジルの事情の一部分をより深く知る事ができ、習得は大きかった。
 特にコーヒー園の労働者の苦境は大きかった。その最大な原因に第1次世界大戦の後、戦費に国力を失ったヨーロッパとアメリカが主にコーヒーや絹系等といった贅沢品を輸入せぬ様になってしまった事がある。その為、ブラジルでは政府が生産者保護政策としてコーヒー豆全てを買い上げたが原価を割るありさまで、価格維持をはかるため、尋常ではない相当量のコーヒー豆が大量に焼却廃棄された。生産者も無い袖を振って生産している。