連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=14

 新開地の山にも慣れ、新しい棉作に向かう心が募る。山が良く焼けていたら、今頃は棉も良く出来ていたのかも知れないが、まだまだ借金の返済がやっとだったのである。小物を植えたお陰で、生活費の半分位は入ってきた現金で賄う事もでき始めているらしい。ひょっとしたら、これから借金せずに済むかも知れない。実際にお金が入った事は大きな強みだった。第1に大塚さんから貰った5羽の鶏も、今では50羽以上に増え、卵も毎日食べられるようになっている。豚も3頭居るし、今度は山羊を飼い、山羊の乳も飲めるようになるだろう。
 自家製のパンに卵、山羊の乳と、これだけ揃えば以前心配していた健康上の憂いも無く、家族揃って今まで以上に働く事ができる。おやじや兄貴、僕文雄は言うに及ばず、みゆき、好明、いとこ2人も相当な働き手。幼い稔だけがお袋にまつわり付いている。お袋は家事の傍ら、家の近くの畑の手入れや色々な野菜も植えたり、その合い間に子守り。稔はもうさほど手がかからなくはなっていたが。
 ブラジルに着いて2年足らずで見違えるほどに逞しく、移民にふさわしい家族に成長した。問題は来年1作だ。独立できるかどうかは今年の1作によって決まる。早く大塚さんの境遇に近づきたい。もう一踏ん張りで決まるかと思うと、力が湧いてくる。もう少しだ。7月の始めには8割位までは片付いたし、もう1カ月ある。あせる事はない。9月の植え付けには充分間に合う。若し少しくらい遅れても、10月までは蒔きつけても良いそうだから気にする事はない。
 それにしても先輩の人達の意見はありがたかった。全部焼けなかった山の後始末に、焼け残った跡にはびこったシッポといわれる根っこを切り伸びている木の芽を切って、1カ月もしたら枯れてしまう。それに火をつけたら、大木そのものがもう腐れかかっている頃なので、枝打ちするまでも無く片付くと教えてくれた。その通りにしたらきれいさっぱりとなった。やはり先輩はありがたい。
 9月の初めの夜中に大雨が降り、朝まで降り続けた。恵みの雨だ。いよいよ初めての植え付け。焼畑で地力もあるから1・3メートルの幅で、0・8メートルくらいに、1株ごとに4粒ぐらいの種を蒔き、10センチぐらいまで伸びたら1株に2本だけ残し、間引きする事など、それを全て3回ぐらいに分けて植える事など、耕主が細々と注意をして下さった。
 初めての経験だったのでありがたかった。日が照り、雨が降る。天の恵みは万物をすくすくと育て、万民を豊かにする。天は公平に、その人その人の働きに対し報酬を与えて下さる。
 2月頃には沢山の花が咲き、早いのは赤ちゃんの拳ぐらいの桃も見える。季節は忠実に廻り、空が青みを増し涼しさが加わる。雲ひとつも無い澄み切った青空は広く、万事を包み込んでくれる。天に向かって爽快に「ヤッホー、ヤッホー!」と叫んだら、果てしない向うから谺が返ってくる。何と楽しい事か。
 そうこうしている内に、いよいよ棉摘の時期が来た。棉摘といえば、去年の大塚さんの所へ手伝いに行ったのを思い出す。日本から来て何も知らない自分に何かと教えてくれた事。でも、一番嬉しかったのは、日曜日の休みにドウアルチーナの町に遊びに行ったこと。シネマを見てソルベッテまでおごってもらい、日本の学校友達を思い出し、そして、帰るときに頂いた大塚さん宅の自家製の真っ白なパンや鶏の丸焼きのおいしかったこと、母のうれし涙、全てが大きな力となり、これからも家の支えになるにちがいない。