連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=16

 ブラジルに着いた当時は、それこそひどく泣きたいほどだったのを覚えているが、果物だけは良く食べられた。荒山に住んだ2年間は時々買ってくるバナナを宝物の様に食べた。今からはもう少し頻繁に買って食べられそうだ。勿論充分な営農資金も無く、青田借での初年なのだが、それ位の贅沢は許されそうだ。
 ムダンサのカミニョンは走り続ける。パストの中、棉畑、再生林の中を通り、カフェザールとどの位走ったか、高台の耕地にさしかかり、ひときわ立派な門構の前に着いた時に車が止まり、おやじがちょっと支配人に挨拶と言って降りたが、待つ間もなく出てきたのが支配人のアントニオ・カルバリョと耕主の甥という30そこそこの子豚のように丸々肥えた小男。
 好人物らしく愛想も良く、これから3年間何かとお世話になる、よろしくとお互いに挨拶を交わし、真向かいに見える切り倒しただけの茶やけた土地を指差して、もう火をつけても良いだろうし、防火道も出来たそうで、明日にでも檢分して知らせるから誰か責任者を選んで知らせてほしいとの話だった。
 それからしばらくの仮住まいする南さんの所は川の向うだと教えてもらった。1キロ程先の南さんの住宅でお茶をお世話になり、荷物を下した後、鶏達を降ろし、餌をたくさんやったら今夜は休んで於しても帰って来るので心配は無いと言われた。だが豚は鶏とちがって放し飼いはできないので足をしばったままにし、明日囲いを作るよりほかになさそうだ。やれやれ、これで今夜はゆっくり眠れそうだ。
 今度借りた土地は、地元に長らく住んでいる沖縄県人の善さんという大家族と福島県人の渡辺さん、娘婿同性の渡辺さん坂本さん等の7、8家族らしい。皆ブラジルに古い人達だそうだ。
 いよいよ山焼きの日も明後日の木曜日9時と決まり、当日は全家族の皆と耕地側から10人位応援に来る様で、六方から一斉に火を付けるが、風下に支配人のアントニオさんが先に花火を上げて合図し、一番目に火の手があがったら一斉に火を付けて防火道に集合。火の手が上がるのには2分もかからなかった。
 初めはパチパチと音を立てはじめたら、忽ち火が火を呼び、黒煙もうもう、火の手も一瞬のうちに10メートルぐらいの高さに達し、黒煙は太陽の日を遮った。炎は黒煙に遮られた太陽を一飲みにせんとする、太古の大蛇の真赤な舌の如くメラメラと何物をも焼き尽くさんとするかのように、黒煙の中をごうごうとはげしくのたうち廻っていた。
 この世の有様とは思えず、今まで想像だにした事のない物凄さに圧倒され立ち竦んでいた。夢のような光景だったが、身を焼く熱さに驚き身を引き、現実の物凄さに更めて猛火の壮観に目を釘打ちしたまま、昔話の海に千年山に千年修業を積んだ老竜が火を吐きながら天に昇る姿を思い出した。
 黒煙がうすれると20メートル位はあるだろう、枯れたまま立っている大木を嘗めるようにまつわりつく炎が赤々と燃え続けている。その物凄さに飲まれ、古参の人々もこんな高い大木の燃えているのは見たことが無いと驚きの声をあげていた。
 僕は旧移民の方々が驚きの声を上げて語っておられた事を、何と大袈裟なと思っていたが実に驚嘆に値するブラジルでのみ見られる大陸的な、拓人の心を揺るがす牧歌的な雄大な夢を満たす光景だったのであろう。