連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=19

 もうしばらくは渡辺さんのお世話になるが、今度は家でも大豆を買って搗いたので、来年の正月過ぎには自家製の味噌も食べられるように算段した。3匹の豚も1匹はもう殺してもよさそうな頃だ。今年は外人からミーリョも買ったし、少しずつブラジルの農家らしくなってきた。
 母の念願の山羊も、為仁さんに頼んであるので、間もなく手に入るだろう。鶏は50羽以上居るだろうし、豚も3匹、間もなく山羊となったら、ブウブウ、メエメエ、コケコッコウと、豚、山羊、鶏の三合唱にますます賑やかになることだろう。
 外にも色々欲しい物はあるが、一番にはロバである。外の物に比して最重要だ。今年は1500アローバもの棉を背負ってきた。若いから出来たものだが、体力の消耗は避けねばならぬ。ロバ一頭くらいなら、場所もそれ程広くなくても良く、草は道端にたくさんあるので当分は充分だ。土地が少ないのが今は何より痛いが、現状ではどうにもならない。来年の3月までには為仁さんに頼んで間に合わせたいと思っている。
 忙しい棉の収穫も済み、出荷の後のしばらくの休みに為仁さんに呼ばれて、7キロ位の所にあったアランバクイと言う川に魚釣りに連れて行ってもらった。大塚さんのところでも魚釣りに連れて行ってもらっていたので、大した関心を持っていなかったが、着いてみたらびっくり。川幅10メートルほどの水流、生れて始めて見たその衝撃はいまだに覚えている。為仁さんはそこで何年か前に20キロ程の大魚を釣り上げたと言った。為仁さんだけでなく、釣り人は皆大法螺を吹くので、今日はその腕前を見せてもらおうとひそかに思っていた。為仁さんの指南で釣竿、釣り針、何から何まで指示を頂きながら用意していった。
 僕も兄も幅1メートル以上の川なぞ見た事もなかったし、こんなすごい所に来るとは夢にも思っていなかったので、何の準備もなく来てしまっていた。為仁さんもそんな不用意な人間を連れ出してきてと驚いていたかもしれない。そんな具合で釣りは続いた。もううす暗くなってきたのに帰る気配はない。
 むしろ、為仁さんは薪をかき集め、焚き火の用意をし始めた。どうも風向きが怪しい。夜通し釣り続けるようだ。20キロの獲物の話はどうやら真実らしくなってきた。観念の外ない。兄貴は知っていたらしく小枝を集めている。焚き火の準備が出来ると、少しうす暗くなっていたが、焚き火の明かりであたり一面の風景が変わった。同時に為仁さんがサコーラからケイジョとパンを取り出し、僕達に進めてくれた。
 そしてピンガを取り出し、甘そうに舌打ちしながら少しづつ飲み、ケイジョを頬張り、何気なく「川辺には毒蛇が居る事があるから、移動する時には必ず火の点いた小枝を持って行くように」などと、細々と説明してくれた。
 そして釣竿を持ち、川辺に下りていき、ゆっくりと釣り始めたようだ。しかしこっちはもうそれどころではなくなった。毒蛇が居るからと驚かされ、魚釣りどころではない。
 オドオドしながら30分位過ぎた頃だったろうか。為仁さんが大声を上げた。まさか毒蛇?と、ドキッとしたら、「釣れた!、釣れた!」の喜んだ叫びが続いて夜空に響いた。
 ホッとして走って川辺に行ったら、銀色の鱗を輝かせた60センチ位の大魚が為仁さんの腕の中でぴくぴくしていた。さすが!バケツの中を覗き込んでみたら10~20センチ位のが3、4匹泳いでいた。