連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=22

 そのときに隣のイタリア系の人からある申出があった。早急には買い手は見つからないだろうから、いま飼っている牛馬の世話といくらかの借地料で土地を貸して貰えないだろうかとの話しだった。それも、自分は20年近くそこに住んでおり、人様に信用してもらっているので、確認を取ってから返事をしてくれとの事だった。あの状態の中では地獄に仏の話だったが、折角手に入れた宝、牛馬の世話も大変だが、2、3日考えさせてくれと、その間に信用できるかどうか、町の人に当ってみた。そこで、全員、そのイタリア系の人はなかなかの好人物だと意見が一致していた。
 安心して牛馬豚の世話と2コントの借地料、1年契約で話が纏まった。1年後には新たに相談すると言うこと、やはり血と汗の結晶であった我が家の財産、惜しい気持は抑えがたかったが、命には到底替えられない。後は新しい場所探しだ。
 棉とコーヒーを売った代金があった。あと1年位だったら日雇仕事でもやればと覚悟を決めたら気が楽になった。幸いマラリアも悪性ではなさそうで、軽い熱気は時々起こるが仕事に害もなく、その後、熱もめったに出なくなった。ここを出たら自然に治るような気がする。また、そうあってほしいものだ。何時出るか分からなかったが、ここはマラリアの巣。
 健康地を物色するが何処も同じ、帯に短し襷に長し、土地の良いところは便利が悪く、ここぞと思う所がなかなか見つからない。そんなこんなしている内に知人が、自分の生れ故郷の近くに120アルケールの廃棄耕地があり、そこに自分のおやじとイビチンガに牧場を持っている知り合いの人と一緒に借りる予定だが、もう1人入ると1家族で40アルケールになるから、一緒に入らないかとの話が入ってきた。
 あまり知らない、しかも外人二人。兄貴は心配そうで余り乗り気ではなかったが、2人とも耕主。父は、見てみないと分からないからと、とりあえず見に行こうと決め、兄貴と例の外人と3人で出かけた。その日はその外人のおやじさんの耕地で厄介になり、翌日イビチンガの耕主に会い、皆で現地へ向かい下検分と云う風に相談が決まった。
 翌朝はそこ(ミネイロ・ド・チエテ)の耕主の案内でコーヒー園を見せてもらったが、土地も良く、手入れも行き届いており、今時珍しい作物だと父も感心していたそうだ。耕主は物静かな好人物。イビチンガの耕主は作物ではなく、牧畜家だそうで、その人もまた信用の出来そうな相手だった。
 さて、その廃棄耕地とはミネイロ・ド・チエテから更に16キロ程離れたバーラ・ボニータという所にあった。コーヒーの全盛期には大変栄えていたそうだが、今は見る影もない再生林と化しているそうだった。それ故、4年契約で、初年は無料。残り3年だけ借地料を払うような契約だった。イビチンガの牧畜家の小型トラックに7~8人乗り合わせ、廃耕地を見に行った。
 廃棄耕地だけあって手入れはされていなかったが、所々コーヒーの収穫後の青々とした葉が見えた。云うまでもなく、土地の質は最良らしい。足を踏み入れるなり、話に聞いていたコーヒーの全盛期の面影が残っていた風景が目の前に広がった。耕主の邸宅、支配人の家、広々としたテレイロ、コーヒーの豆を洗う水路。耕地は荒れに放置されていたが、電気、電話、学校と揃っており、コロニアもあり、棉畑もあったがカボクロで手入れがされておらず、それでも可也の出来と見えた。