連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=24

 日本軍が世界を相手に勝ち進んでいると言うのだが最近、ブラジル政府が敵性国家として国交も断絶していた日本、ドイツ、イタリア各国の人たちに対して弾圧の手を加えているような話しをしていた。海岸地方に住んでいる移民の人達、特に日本人の移民には強制的に、24時間以内に家を出るようにとの命令が下されたらしい。着の身着のままで追放された日本人移民が1万、2万人もサンパウロの町にあふれていると、新聞まで持って来てくださる人たちがいた。
 そして、ピストル等の鉄砲類を持っていたら監獄行きなので、若しそんな物を持っているようだったら、信用の出来る人に預かってもらったほうが安全だと忠告もしてくれた。
 ブラジルでは自衛の為、各家族で男の数だけピストルが備えられているのが常識だった。家でも16になった弟の分まで6連発のピストル4丁、外に独製の28口径の2連鎖銃そしてそれ相応の弾薬があった。仕方なくそれら全てを箱詰めにして尤の話し仲間であるイタリア系のブラジル人に預かってもらった。無用心では有ったが、あの時の立場では仕方が無かった。
 普段の時でさえどんな事をしでかすか分からない警察、どさくさの場合を考えたら恐ろしくてたまらない。「障らぬ神に祟りなし」と云う昔の人の言い伝えを信じ、後難は出来るだけ避けようと意見も一致しての決断だった。
 それにしても、周りに日本人が誰一人いない所で、新聞も読めず、何一つ情報が得られないとは。好んでそこに入ったとはいえ、やはり心細い。早く戦争が終わって欲しいと思わずにいられない。
 忘れよう。忘れよう。もう、そろそろ棉も開き始めたら忙しさで何もかも忘れて一心に棉摘みに精を出せる。ひょいと思い出したが此処に来てマラリヤの発作が段々と遠のき、最近は誰にも発作が出ない。良かった、良かった。皆が健康なのが何よりだ。早々とマラリヤの巣から逃げ出したのが良かった。
 時局の心配はあるが、今は家族揃って健康で働けるのが何よりだ。山裾に蒔いた稲の穂は重たげに波打っている。今年は家で食べられる位の米は出来そうだ。トレードに居る頃は良く育った稲も、穂が出かかると日照りで白穂になり、3年で一俵も穫れた事がなかったが、此処に来て2年目で実り、自家消費ぐらいは満たすことが出来そうだ。
 棉も豊作らしい。百姓だから作物を育てて収穫するのが天命。汗を流し大地を耕すのが百姓の仕事。嬉しい限りだ。毎日毎日が充実した日々だった。そこに忍びやかに受難の日が迫って来ていたとは神ならぬ身、知る由もなかった。

第八節 日本人としての大受難

 ブラジル政府のジェツリオ・バルガス大統領は排日政治家であった事は周知の事。事実、白人特有の黄禍論者で、日本語教育に弾圧を加え、日、独、伊の三国を敵性国家と指しながらも、特に日本人を目の仇としていた。
 日本人への弾圧は何日の日に起こるかとの予感はあったが、集団地でなくなったし、地方でひっそりと暮らす勤勉な農業者にはあまり関係のないものだろうと信じ、一抹の不安はあったものの毎日汗水流して仕事に励んでいた。
 百姓にとって命の次に大事な物は額の汗の結晶である農作物の生長。それを見るのが一番の楽しみなのだ。一年食べるだけの稲も穫れたし命と頼む棉も上出来だ。もうすぐ棉摘みが始まろうとしていたちょうどその頃の事だった。一抹の不安だったのが実現してしまった。