連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=30

 積もる話もあるのでと家に誘われ、好意に甘えて植田さんのお宅へ向かった。程なく話を耳にしたという方々が2、3人訪れ、我々が無事にドゥアルチーナに帰ってきたことを心底喜んで下さった。でも油断は出来ない。ここでも日本語での長話は出来ないらしい。その後も3人、4人と、親父の知り合いが尋ねて来られ、日本人の変わらぬ人情には泣かされた。
 植田さんは、家でアルモッソしているよりも、一刻も早く皆の元気な顔を見たいだろうから、ランシェだけにして、済ませたら直ぐに車を出して下さるという。立場が立場だけに、植田さんの云われるままに早く送ってもらった。20分程の道のりも家族の喜びばかりを想像して見慣れた景色すら眼に入らず、空の雲さえ家族の顔に見えた。
 コンゴニャスの坂を登りきったらもう家のシーチオだ。草原だった所にはマンヂオカが植えられていて、管理人の丹精振りが見て取れた。程なくカミニョンの爆音を聞き付けたのか飛び出してきたのは妹のみゆきだった。カミニョンの上に乗っていた兄貴を見たら、大声を上げて家の中へ走っていった。家の前に止まったカミニョンに近づいた老父は、満面の笑顔で植田さんへの感謝の言葉すら忘れ、息子達の無事な姿にみとれ、目には涙を一杯ためてただただ立ち尽くしていた。
 老母は前掛けで涙をぬぐうのが精一杯で声も出ない。身重の兄嫁を支えていた妹みゆきも、嬉しそうに稔に何かを話しかけている。兄良徳も嫁の肩に手をやりながら何かささやいている。皆の顔には安堵と喜びが満ちているが、涙で言葉にならない。命を賭けた涙の逃避行も、今この一瞬神の祝福と喜びの場と化し、再生の生命の泉に浸る。僅か1カ月の別れではあったが、行くも残るも生死がかかっていただけに、再会の喜びは幾倍にも大きかった。植田さんも親子の喜びを涙の笑顔で優しく見守ってくれていた。そして、皆で食事の支度に着くと日本酒を3本とグヮラナを数本お祝いとして出して下さった。何時に変わらぬ厚情だ。取るに足らぬ同胞の厚情に報いる為にも、一日も早く立ち直らねばならない。中野家の再出発だ。頑張るぞ!

 第九節 再出発

 秋の空は天高く、星のきらめきは人の気を引き立てる。今では、あの心も凍て付く官憲の圧迫の日々も、決死の逃避行も遠い出来事のように霞み、別世界にさまよった夢のように思われる安心感に包まれ、心身ともに蘇った。
 ブラジルとは不思議な国だ。その地方の官憲の人柄によって、行政が天と地程の隔たりがある。バーラ・ボニータの冷酷な排日署長にもう少しでいびり殺されそうになっていた頃は、今日の温かく生き甲斐のある日々が送られようと誰が想像できたであろう。
 もう思うまい。悪夢はバーラ・ボニータに捨ててきた。ここは別天地だ。この暖かい日差しを浴び、人として、日本人として限りない天地の恵みのもとで再生するのだ。限りなく温かい日本人同士の情けに触れ立ち上がるのだ。あれほどひどかった老母の腰痛も、心の痛みと共にうすらいで介護なしでも立てるようになった。人生とは運なのか。この喜びは外の人にも伝わるのか。どこそこに良さそうな借地があるとか、良いコーヒー園が売りに出されているとか、次から次へと良さそうな話が持ち込まれる。