祖父岸総理に匹敵する日伯振興を

 1959年7月24日午前8時、岸信介総理がリオに到着した。JK大統領を訪ね、前年の三笠宮ご夫妻訪伯の際の厚意に御礼を言うと、大統領はカフェジンニョを勧め、「日本でのコーヒー普及ぶりは? ぜひ日本国民に愛飲していただきたい」と尋ねた。総理は「残念ながらお茶の方が盛んですが、私のようなコーヒー党が追々に増えることでしょう」などと和やかに会見した(日毎紙同25日付)▼同27日午前10時、岸総理は最初の日本人街コンデに姿を現し、随行の日系政治家から予定にない挨拶を依頼された。『岸信介の回想』(文藝春秋、81年)の中で本人が回想し、「そこについたら大歓迎だ。日本の国旗を掲げて、街頭を埋めつくしているのだ。(中略)ミカン箱をならべて、その上に立って~」(402頁)と演説の様子を嬉しそうに語っている。現役首相がコンデ街でミカン箱の上にのって演説した▼文協ビルは建設前であり、イビラプエラ日本館で歓迎会をした。岸総理は「皆さんと会っていると今初めて会ったようには感ぜずに、久しく会わなかった身内の者に会ったような親しみを感じ、このように歓迎されると目頭が熱くなる」(日毎紙同28日付)と挨拶した▼記者会見で総理は「日伯の友好関係を深めるためにぜひ力を入れたいと考えているのが経済問題である。ミナス製鉄所はその一つで、これは日本移民に寄せられた温かい厚意に対するいささかの御礼をふくめたもの~」(同)とある。そして61年3月、ウジミナス高炉起工式が挙行された▼その孫、安倍総理が55年後の本日、首都を訪れる。ぜひ祖父に匹敵する日伯関係振興を期待したい。(深)