「核兵器なき平和な世界を」=レジストロ平和灯ろう流し=聖南西日語校生徒ら150人参加=長崎知事「ブラジルで開催意義深い」

 サンパウロ州レジストロ市のベイラ・リオ公園で16日昼から、日本の終戦記念日に合わせて毎年開催される「第6回平和灯ろう流し」と「盆踊り」が行われ、1500人が来場した。今年は特別に世界文化遺産登録1周年を記念した「富士山写真展」(静岡新聞社、ニッケイ新聞社共催)が併設され、聖南西地区の日本語学校生徒と父兄ら計150が参加し、雨にもかかわらず夜11時までにぎわった。

聖南西地区の日語学校生徒が歌声を披露した

聖南西地区の日語学校生徒が歌声を披露した

 「核兵器なき平和な世界を目指し、レジストロの地から声を発信し続けたい」。山村敏明実行委員長はそう力強く開会の挨拶をした。冒頭には金子国栄さん、ヤスダ・ミツル・パウロさんらに黙祷が捧げられた。
 つづいて長崎県人会の川添博会長が、中村法道知事からの次のメッセージを代読した。《遠く離れたブラジルで本式典が開催されますことは大変意義深い》とし、さらに《来年2015年は、被爆70周年という節目の年です。核兵器のない平和な世界を1日でも早く実現できるよう、全世界に向けて平和のメッセージをこれまで以上に強く発信してまいります》。
 レジストロ文協の川尻誠イリネウ副会長は「5月に訪日した折り、広島の平和記念館を訪れ、心を打たれた。このような非人道的な兵器は二度と使ってはならないという思いを強くした。そのためにこの平和灯ろう流しは重要な行事だと痛感した」とのべた。
 ブラジル日本文化福祉協会の山下譲二副会長に続き、ジルソン・フォンチン市長が平和宣言をし、「平和と正義の名において、たくさんの原爆が作られてきた。核兵器が二度と使われないよう、民族共存、多様性の大事さを広く知らしめましょう」と訴えた。
 献花、献水が行われ、同地西本願寺重職の高橋一心師が読経をする中、焼香の列が続いた。献水された水は、今年の県費研修生が長崎平和公園から持ってきたもの。
 聖南西地区の日本語学校(カッポン・ボニート、ピニャール、ピラール・ド・スル、ソロカバ、ピエダーデ、ヴァルゼン・グランデ、レジストロ)から生徒約100人が集まり、日本語で「許すまじ原爆を」「花は咲く」を合唱した。
 式典前に、長崎での被爆の様子の描いた長編アニメ『アンゼラスの鐘』(有原誠治監督、05年、虫プロ)や原爆紙芝居も生徒は鑑賞した。
 雨が降り続く中、夕暮れに灯ろう300基が川面に流された時だけはピタリと降りやんだ。
 ヴァルゼン・グランデから親子で来場した日系二世の楠野悠里可さん(ゆりか、32)は、「父から戦争の話は聞いていたが原爆の恐ろしさを今日実感した。同時に写真展を見て、心が洗われた気がする。富士山が日本人の心のよりどころである理由が分かった」としみじみ語った。
 式典のあと、恒例の盆踊り、夜10時頃からは若者向けのマツリダンスとなり、午後11時まで会場は賑わった。山村実行委員長は「日語校の父兄からも教育上とても良いと喜んでもらえた。来年は被爆70周年だから、より大規模にやりたい」と意気込んでいる。
 長崎県人会、広島県人会、ブラジル被爆者協会、聖南西文化体育連盟、リベイラ沿岸日系団体連合会、レジストロ日伯文化協会、イカロ研究所などが共催した。

富士山写真展に人だかり=「いつか登ってみたい」

熱心に鑑賞するレジストロ市民ら

熱心に鑑賞するレジストロ市民ら

 「第6回平和灯ろう流し」会場テント内には約40枚の富士山写真が展示され、ひっきりなしに地元ブラジル人来場者も訪れ、じっくりと鑑賞した。
 元サンパウロ州教育局勤務の日野寛幸さん(68、福岡県出身)は、「子どもの頃から富士山に一度登りたかった。でも九州から電車で神戸まできて、船でブラジルへ来てしまった。もう富士山を見ることはないと思っていた。いつか登りたいと思い続け、一昨年11月に訪日した折り、『雪を見てみたい』という二世の妻を連れて、ようやく富士山の途中まで登った。『ああ、ここが日本だ、日本に帰ってきた』と感じました。心に残る旅行になった。この写真展をみて、その時のことが思い出されました」としみじみ語った。その時に富士山の石を拾って、自宅に飾ってあるという。
 地元レジストロの川尻誠イリネウさんも「ここにもヴォツポッカという山があって、〃レジストロ富士〃と呼んできたんだ。全然低いけど、遠くから見た富士山と同じような形をしているよ」という。
 「でも、その頂上に登っても大木が生えていて、中腹まではバナナが植わっているし、この写真の様な眺めはない。本物の富士山の写真が見られて良かった。いつか登ってみたい」との思いを新たにしていた。