「東京五輪に出場したい」=サッカー留学に賭ける夢=ジアデマCに十代が6人=〃文化〃の違いを痛感

 「プロになりたい。日本代表に入りたい。6年後の東京五輪に出たい!」――サンパウロ市大都市圏のジアデマ市にあるアトレチコ・ジアデマ・クラブ(サンパウロ州選手権4部)には、日本から十代の青年6人が在籍し、そんな切実な思いで切磋琢磨している最中だ。「20歳以下部門」と「17歳以下部門」の門を叩いた彼らは、クラブ敷地内の寮で共に暮らしながら異国で夢を真剣に追っている。

左から17歳以下チームの木下君、太田君、松下君

左から17歳以下チームの木下君、太田君、松下君

 「ラドロン!(=泥棒、「後ろから相手チームの選手がボールを取りに来ている」との意味)も最初はわかりませんでした。ボールを取られたら自分のせいにされてボロクソに言われた」。そう太田龍さん(岡山県・16)は焼けた肌に白い歯を覗かせて笑う。
 彼らは15から19歳、プロサッカー選手を志してサッカー留学してきた。うち3人は中学卒業早々、情熱を抑えきれずに渡伯した。
 来伯当初はブラジル選手の素早いプレッシャー、ファールすれすれ、時にはファールそのもののディフェンスに潰される事も少なくなかった。審判の見てないところでシャツを引っ張られるのは当たり前、ファールの笛がなっても気が抜けない。2人同時に倒れ、起き上がる時にわざと踏まれることもある。
 「『日本ではファールや汚いプレーをするな』と教わってきたが、こっちでは『ピンチの時はファールしてでも止めろ』と言われます」と〃サッカー文化〃の違いを6人とも痛感する。
 日本ではユースの試合で黄カードが出ることは稀で、赤カードは殆ど出ない。こちらでは黄カードの出ない試合は無く、赤カードもしばしばだ。練習試合で大敗した一軍のメンバー9人が、そのまま戦力外とされるなど、選手は目まぐるしく入れ替わる。そんなブラジルサッカーの厳しい生存競争の現実を目の当たりにしている。
 取材時に偶然やっていた20歳以下の紅白戦で、大声を出してポ語で味方にパスを強く要求していたアジア系の少年は韓国人だった。日本人少年らは来たばかりでまだ遠慮しているのか、ブラジル人選手に負けずにファールをやり返している者はいないようだ。
 「郷に入っては郷に従え」という言葉もあるが、日本式の〃謙譲の美徳〃を脱ぎ捨てて、ブラジルの流儀で戦うことも勝負には必要だろう。6月のW杯で惨敗した日本代表に対する無念を、4年後に彼らのような留学生が晴らすことはできるか。
 みな来伯1年以内で、帰国日を決めている者はわずか1人。残る5人は「プロを目指し、簡単に帰るつもりはない」と頼もしい言葉を吐いた。