ターニングポイント=偶然の出会いの積み重ねでブラジルに

 ニッケイ新聞編集部ブログ読者の皆様こんにちは! 9月から翻訳班の一員に加わった井戸規光生です。よろしくお願いします。

 今年6月のFIFAワールドカップに合わせて渡伯してきました。ニッケイ新聞編集部のあるサンパウロ市の西隣、オザスコという町でブラジル人のルームメイト、ジェズーと暮しています。彼の出会いは約2年前の2012年12月に横浜、豊田市で行なわれたFIFA・クラブワールドカップに遡ります。
 当時からサッカーが好きで独学でポルトガル語の勉強もしていた私は、ブラジルから南米王者コリンチャンスの応援に2万人以上のファンが押し寄せるという噂を聞き、期待に胸を膨らませていました。
 東京に住んでいた私は、大会前、街のいたるところでコリンチャンスの応援グッズを身に着けたサポーターに出会うたびに声をかけ、交流をしました。地球の反対側まで駆けつけた彼らの情熱は大変なもので、共にお酒を飲み、南米王者を決めるリベルタドーレス杯の決勝戦の為にアルゼンチンまで行った時の武勇伝を聞いて、心おどらせたものでした。
 コリンチャンスの大会初戦のアフリカ王者エジプトのアル・アハリとの試合は豊田市で行なわれ、私も東京から駆けつけました。それまでの彼らとの交流も充分刺激的ではありましたが、「もうちょっとここでインパクトのあることやってやろう」といたずら心がでた私は、コリンチャンスファンだらけのスタジアムに向かう電車の中、たどたどしいポルトガル語で演説を始めたのでした。
 「おーい、みんな聞いてくれ! 俺は日本人のコリンチャンスファンだ。遠いところをわざわざよく来てくれた。みんなにあえて本当に嬉しいよ。今日はもちろん決勝戦にも勝って、絶対に世界チャンピオンになろうぜ!」。初めは周りのみんなはキョトンとした目をしていましたが、私の演説が終わるやいなや拍手喝采。取り囲まれて質問ぜめ、記念撮影ぜめ、「フェイスブキ(フェイスブックのことです)やってるか? 友達になろうぜ」と大いに盛り上がったのでした。
 その中にいたのが当時24歳のジェズーでした。その日は彼とははぐれてしまったのですが、決勝戦の日、横浜のスタジアムでばったり再会しました。その試合でもコリンチャンスは欧州王者、イングランドのチェルシーを1―0で下し、世界王者に輝き、試合後は陽気な彼らも感激でボロボロ泣くほどでした。大勢いたコリンチャンスファンも大会が終わると帰国してしまいましたが、その後も、彼らとはSNSで交流が続いたのでした。
 「2014年のワールドカップを見にブラジルに行こう! その後もブラジルに住んでやろう」と思った私は、彼らに連絡をしました。「じゃあ俺の家に来いよ! 一部屋空いてるし」と快く受け入れてくれたのがジェズーで、今は彼と一緒に住んでいます。彼は家族や友達にも紹介してくれて、ただの旅行者として来たのでは起こりえなかった出会いに恵まれて過ごしています。
 時々思うのですが、「何であの時、電車でいきなり演説始めたんだろう? あれがなかったらブラジルに来て住んだりはしなかったろうな」って。色んな縁が重なって、こうしてニッケイ新聞にいるのも不思議に感じます。
 日本の常識では考えられないようなニュースが毎日飛び出すこの国の様子を届けていきます。よろしくお願いします。
(井戸 規光生)