パラー州局長=「日本人抜きに語れない」=アマゾン入植85周年祝う=第1回移民に記念メダル=民族融合の模範の地に

 【ベレン発=田中詩穂記者】1929年9月に第1回アマゾン移民がブラジルの地を踏んでから、今年で85年目を迎えた。厳しいアマゾンの自然や気候、病害との闘いの中、苦汁をなめて根を張った一世は、子孫に教育を受けさせ、農業にとどまらず商業、学術、医療など幅広い分野で日系人は地位を築くに至った。そんな北伯の日系人口3万人の7割を占めるパラー州都べレン市内の汎アマゾニア日伯協会では19日夜、入植85周年記念式典が盛大に行われた。同会館は15日に始まった「日本週間」の会場にもなり、神内講堂には約500人(主催者発表)が集まり、節目の年を祝った。

記念メダルを受け取った山田イザウラさん

記念メダルを受け取った山田イザウラさん

 生田勇治会長は挨拶で、「ペルー下り」から始まるアマゾン地域の日本人移住の歴史を振り返り、地域の節目の年に式典を開催する意義として「日本人とパラエンセ、2つの民族の融合と、開拓者を顕彰すること」と強調した。「初期移民の苦難と貢献、パラー州民の温かな受け入れに感謝すべき」と呼びかけ、ブラジル社会への日本文化の普及拡大を誓い、両国の関係深化を願った。
 式典のためにブラジリアから訪れた梅田邦夫・駐伯大使は、式典に出席していた山田フェルナンド会頭の父の山田純一郎氏(山田商会創始者・山田義雄氏の息子)と母イザウラさんに、「素晴らしい人生を送られた。2人が築かれたことは我々に勇気を与えてくれる」と語りかけ、「子孫が様々な分野に進出し、ブラジル社会に貢献されている」と称えた。
 アレックス・メロ州社会政策特別局長は「パラー州は日本人の存在抜きには語れない」とし、「この地が最良の日系人の州ではなく、最良の日系人の〃地〃となり、2つの民族が出会い、住民に貢献した社会としての模範となりたい」との考えを示した。
 続いて第一回移民の山田元さん、山田フサコ・イザウラさん、池谷ローザさん、加藤昌子さんの4人を代表し、イザウラさんが記念メダルを受け取った。
 在外公館長表彰は医師の及川定一さん(70)、元汎アマゾニア日伯協会会長の丸岡義夫さん(67)、連邦裁判所事務官でサンタイザベル・サントアントニオ日本語学校の元教師長島ジュリア登志子さん(49)、パラー州公安局長のルイス・フェルナンデス・ロッシャ氏(56)の4人に贈られた。
 「幸せ。名誉に思います」。子供や孫とともに出席したイザウラさん(86、静岡出身)はそう嬉しそうに語った。1歳の時に家族でアカラ植民地に入植し、5歳まで過ごしてサンタイザベルに移った。本紙の取材に「学校まで片道5キロの道を通った」と田舎生活の苦労を思い起こし、「父はポルトガル語も話せず、子供7人も連れて大変だった」と亡き家族に思いをはせた。
 52年からべレンに移り、4人の子供と7人の孫らに恵まれ、夫の純一郎さんと二人三脚で歩んできた。メダルを胸に「今は蘭の花を育てるのが楽しみ」と微笑んだ。
 及川定一さんの弟・研二さん(67、東京出身)は獣医で、州の農業支援公社に勤める。8歳の時に米国フォード社がゴム栽培のために開いたベルテイラ植民地に入り、その後モンテ・アレグレに移転。習慣や食べ物の違いに苦労した。
 「父は自分が犠牲になって、子供を皆大学に通わせた。移住者は皆苦労しました」と振り返り、今日の日系人の活躍ぶりを「日本人として誇りに思う」と笑った。