コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(14)=ゴヤのデッサン画――スペイン移民

昔のサンタローザ街の様子(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

昔のサンタローザ街の様子(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

 ルッカス街。その歩道では、タマネギが切り取られたレスチアで子どもたちが遊んでいる。低い円いドアの後ろに、家の中がのぞける。白い壁にぶどうの木の画が描かれている。
 テーブルの上にはレース編みのクロースに覆われた素焼きの水入れが二つ。額縁もある。黄色と藤色の聖ヨセフ。四つに分けられた盾を表す赤と金のスペインの紋章が描かれたカレンダー、それから星、緑、黄色のブラジルの国旗。これらに囲まれて髭を生やした正装のアフォンソ13世が収まっている。清潔で涼やかである。別の部屋。なんだか教会のようである。石版に彫られた天使、聖人たちが赤塗りの貝殻をはめこんだ額縁に収められた闘牛士の絵を囲んでいる。
 歩道に子どもたちが画いた石蹴り遊びの升目の上を、体の不自由な男が木製の低い車にのって、薄笑いを浮かべながら通る。戸口から戸口へ、黒服のオバサンたちを相手にいやらしい話をしながら行く。肉屋の戸口からまっ黒な髭を生やし、頭をスカーフで覆った男が出てきた。17世紀の海賊のようだ。別の顎髭の濃い男たち。世界中のかみそりを無視する男たちも世の中にはいるのだ。髭のない硬い顎はなじみのない他人の顔になるから嫌なのだ・・・。倉庫の扉に荒っぽくかかれたアラビア文字。独裁者プリモ・デ・リベイラ《註=スペインのファッシスト》や、大いなる神《註=宗教団体Jesus del Gran Poder(大いなる神)》や、ジョゴ・デ・ビッショ《註=動物賭けの名称》について話している声が聞こえる。
 居酒屋。どの居酒屋にもかならず喪服を着たような黒っぽい女がいる。どの喪服の女もトランプ占い師に見える。口紅なしの粉白粉。しかし、このとき、わき道にそれるようにいく不実にゆがんだ気持ちで女工員の後姿に目を走らせた。髪にははでな髪飾り、カールした艶のある髪が額や顔に垂れ下がる。首には緑のスカーフ。タバコ工場の女工だろうか? カルメンのように?

  人生の巻きタバコ
  ここに住む人は
  マントに触れただけで
  タバコの栄光を知っている

 タバコをすう。夕暮れに点されるマッチには風情がある。
 深呼吸する。パリ地区の倉庫の扉の前の私がたつ広場は、新しいグレーの舗装が施され風通しがいい。そこには1軒のガソリンポストがあり、それから家畜の水のみ場が四か所以上。左右対称の平たい建物がおくに見える。建設中の中央市場の無表情なセメントの塊だ。
 私はここにサンパウロを感じる。そっちのサンパウロは確かに近いが、高くてこことはまったく違う。カナダ構想の電柱や電線のうしろには高圧線の鉄塔がつぎつぎ並び、下水管が敷設されたタマンドウアテイ川の上を電線が交差する。
 サンパウロは尖がっている。教会や寺院のドームがつき、スレートで灰色に塗られたトタン屋根の矢が天を突く。一階、二階と階がどんどんあがってサンパウロは天に伸びていく。――バベルの塔だ――言葉を溶かし、言葉を混合させた――バベルの塔――血と信念の上に建った――バベルの塔――利潤と理念の上に建った――バベルの塔――この理念のなかにはジャーナリストも含まれる。

 私はここに都会の夕暮れを感じ、窓に灯がともされると、窓が命をもつ。そして別の窓に、もっと別の窓に、どこの窓にも。小さな灯りが店の看板を縦にたてにひきさくように、13階の建物の窓から窓を降りていく(まるで落下する風船のように)。ああ、エレベーターだ。
 板囲いの端の大きな青い文字を赤い光が瞬時照らす。金のモールやボタンをつけた警官隊が弧を描く新しい橋のほうからやって来た。しかし、その金のボタンも光をうせ、制服は夕暮れの色にそまる。――紺色だ。
 急に我に帰る。
 サンパウロのスペインの夜。空からやってきた夜ではない。低い屋根や真っ黒なガスタンクから這い登り、ちりめんの糸がほぐれて散るように、煙が低地に散ってゆく。コールタールの夜。ゴヤの木炭画のように暗く貧しい夜。
 現実のスペインの夜は、弦楽器の美しい音もなければ、オレンジの花をてらす銀色の月の光りもない。ただあるのは倉庫の扉を下ろす音。セメントの床を掃く音。
倉庫につけられた電燈の光り・・・汚れたガラスを通して旗が張られているのが見える。簿記机の上のコードにぶら下がった電燈の光り。くもの巣に影をつくり、麻袋やレスチアの間で、黄色く、ただぼんやりと光っている。
1929年4月21日