南青協=10期生渡伯50周年祝う=指圧師やダム技師ら多士済々=次は16年の60周年盛大に

 南米産業開発青年隊協会(早川量通会長)は12日午前10時から、サンパウロ市の千葉県人会館で『10期生渡伯50周年記念式典』を行い、10期以降の約10人を始め、それ以前の渡伯者や家族ら計50人が参加して節目を祝い、親睦を深めた。

 長尾健史さん(10期)は開会挨拶と大会主旨として、「10期生は集団送り出し制度最後で、9期まであった北パラナの訓練所が閉鎖され、着伯後の現地研修なしにブラジル社会に放り込まれ、艱難辛苦を乗り越える歳月だった。亡くなった方、帰国された方、今日50年ぶりに再会する人もいる。半世紀の歳月を噛みしめながら式典をしましょう」と感慨深げに語った。
 56年に開始された青年隊は全326人。10期生は17人が64年8月に、16人が翌月に着伯した。
 先亡者に黙祷を捧げ、10期有志3人が挨拶した。開口一番、平島征也さん=ミナス州ベロ・オリゾンテ在住=は「50年ぶりに青年隊の行事に参加した。50年経てば色々起きる」と感慨深げに語った。
 ポルトガルで指圧治療所を経営する岡井吉重さんは「僕がリオで指圧普及を始めた60年代後半は他にいなかった。今では指圧をやる人が増えた分、変質してしまった。今年からもう一度日本式を普及しなおす運動を弟子のブラジル人とやる」と語った。
 9期生と一緒に研修したが米国、メキシコなどを回り、2年遅れて渡伯した斉藤信夫さんは、40年来住むパラナ州フォス・ド・イグアスーでポウサーダを経営しており、当日に同協会に5千レアルを寄付した。
 1期生(56年)と共に研修したが渡伯直前に怪我をして60年6月に呼び寄せで来伯した亀井勇三さん。阿部正司さんからは10期生を港に見送り「次は自分たちの番」と思っていたら集団派遣中止となり、66年にコチア青年に混じって渡伯した等の逸話も披露された。
 渡邉進さんが司会を務め、隊歌斉唱の後、各隊員が自己紹介し、記念の賞状とメダルが早川会長から渡された。
 ブラジリアから参加した7期生の吉田茂治さんは「指圧の岡井さんは数年前、100万円を協会にポンと寄付してくれた。一番遅くきた彼らが一番稼いだ。イタイプーダム建設の功労者でダム建設技師の袋崎雄一さん、杉江勉さん、本を出した平島さん、ポウサーダの斉藤さんら10期生は実に多士済々」と総括した。
 早川会長は「期ごとに渡伯50周年を祝ってきたが、今回が最後。次は2016年の青年隊60周年を全員で盛大に祝いたい」と意気込んだ。乾杯の後、料理に舌鼓を打ちながら歓談し、「自分たちが今日あるのも長沢亮太先生(産業開発青年隊創立者)のおかげ」と感謝する声が方々で聞かれた。