コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(17)=いちばん近い東洋――アラブ移民

「一番近い東洋」の章の挿絵(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

「一番近い東洋」の章の挿絵(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

 それは、ロテリア宝くじの抽選後に、アントニオ・プラド広場のカフェー当たりから始まる。
 髭。ひげ。ヒゲ。舗道には瞑想的なひげ。戸口には何かを期待するようなひげ。模倣大理石のカウンターでは、熱いコーヒーをふくひげ。ハアハアあくびをする眠そうなひげ。ひげが立ち止まったり、出たり入ったり、行き過ぎたりする。
 ひげ。老いとタバコのために茶色く色あせた髭が私をまきこみ、まといつき、しばりつけ、からみつく。彼らとともに行く。彼らにまきこまれ、まといつかれ、しばりつけられ、からみつかれ、私はもがきながらうら寂しいビッショ宝くじの街の午後を行く。ジョアン・ブルコラ街を行くのだ。アスファルトの黒いロードに脚を滑らせながら、濡れたでこぼこのポルト・ジェラルの坂を、そこここに屯するひげたちのワイワイのなかを、それからその辺りから鳴り出す蓄音機の騒音のなかを、汗をかきながら降りていく。
 ひげと蓄音機。ひとかたまりのひげたちと蓄音機のレコード。私も廻る。まわりながら、目眩がする。夕暮れ時。ひげのようにねずみ色のそぼ降る雨。レコードのようにまわりながら・・・めまい・・・周りのひげたちがあっちでもこっちでも言う。周りの蓄音機があっちでもこっちでも鳴る。がさがさと粗く耳障り、砂のようにざらざらで、歯ぎしりするように、擦るように・・・空気が薄くなって・・・めまい。
 立ち止まる。坂の途中のウインドウ・ガラスに体をささえながら我にかえる。本屋の前だ。大きなアラビア文字の本は全てコーランのように見え、名高い男たち野写真はまるでブランド・タバコのように見え、豊満な女たちはまるでオペラ歌手のように見える。二冊の本を手に取る。一冊はラスプーチン《註=ロシアの神秘主義的修道士》1の恐怖物語「怪僧」。もう一冊は表紙に聖チプリアノが悪魔の福相で描かれた「夢の本」。
 太い鉄格子が緑に塗られた昔の牢を思わせる小さな二つの窓。その中は山積みの本。雑誌、絵葉書、蓄音機のレコード。そしてひげ。
 悲鳴を上げるような蓄音機の音を背に降りる。ブリキ缶の中でゆすられる水のように耳を聾する音。その音楽にあわせて踊る腹とへそが見える。どこの戸口からもこの音楽にあわせてくねらせる腹部とへそが見える。ひげの男がかき鳴らす蓄音機。
 ふり鳴らす・・・3月25日街はサンパウロが振るカクテルのシェカーなのだ。入り混じったカクテル音。トルコ。トルコ人を作り出すレシピ。
 3月25日街のシェカーにはシリア人、アラブ人、アルメニア人、ペルシャ人、エジプト人、クルド人。全部をかき混ぜて・・、ほれ、トルコ人の一丁あがりだ。
 つまるところ・・サンパウロはそうである。その辺一帯に住むものはみなトルコ人になる。
 3月25日街。ガラクタの世界だ。ガンガにビーズ。キンキラリン。金ぴかの安物。まがい物。ガラクタ。小間物。小間物屋の化粧石鹸、数珠飾り、端布、トランプ札。ショール、小型のナイフ、靴墨の缶。蓄音機の針、ネクタイ、絨毯、時計の鎖、サンダル、トランク、ピン、クローム、鏡、糸巻き、人形、水パイプ、道具。色と光のうず。鮮やかなピンク、鮮やかな青、鮮やか緑、鮮やかなオレンジ色――天井には電灯。ガラクタの世界。二軒の小間物屋に挟まれた別の小間物屋。その小間物屋の前には、また二軒の小間物屋にはさまれた別の小間物屋。――商売仇きを恐れはしない。そこは壁ひとつで仕切られる卸問屋も同じだ――厚い梱包、厚い反物の厚い山、太い声で話す骨太い男の太いひげ・・・
 水溜りと線路のある広い道路を、電車が、自家用車が、そしてカバのようにすべるトラックが行く。野次のなかを泥水がはね、悪罵雑言のなかを泥水が流れる。小間物屋に午後の日差しがさし、まるで粉々になった五色の水晶が、万華鏡の曇りガラスに写る色とりどりの模様のようにかがやく。(つづく)