コスモポリス=1929年のサンパウロ=ギリェルメ・デ・アルメイダ=訳・中田みちよ=古川恵子=(18、終わり)=いちばん近い東洋――アラブ移民

アラブ移民(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

アラブ移民(写真提供foto=Casa de Guilherme de Almeida)

 通る人も立ち止まる人も男ばかりである。たった一人の女もいない。なんだかハーレムのようだ。違う男、同じようなベルイートの、ダマスコの、エレサレムの、金髪がかったシリア人。桑とタバコがにおう男たちはゴムかっぱを翻し、ユーテラス川の水のように緩やかなうねりをなして歩く。
 ・・・砂漠のように、あるいは荒野の山のように、乾いて味気ないざらつく子音だらけの言葉で話しまくる褐色のアラビア人。・・・トレビゾン(帝国)のハシバミのように艶っぽい印象的な目のアルメニア人。・・・歴史上の責任を負って哲学的思考で大麻をたしなむ生真面目で豊満なペルシャ人・・・繊細で勤勉で、賢くふるまう移民。
 遠いアレキサンドリアやポートサイドの倉庫の上で踊ったり、明るい地中海の帆やマストやロープを目に浮かべながら生きるエジプト人・・・粗野で強い猜疑心をにおわせる民族、ざらざらな肌を他国の太陽で赤く焼いたクルド人・・・トルコ人。もっともサンパウロでは全部がトルコ人だ。
 通りすぎる人、立ち止まる人。
 街角のパジェ街。仕事と休息がごちゃ混ぜになっている。仕事はアストリンゼントやタンニンが、あるいはなめし皮の滑車のきしる音がする靴屋やサンダルや突っかけの製造工場。休息は身動きできない人がカフェの戸口から表を見るときだ。あるいはまたテーブルでアニス《註=エルバドーセ》の蒸留酒を引っかけるときだ。
 急ごしらえのカフェ。ドアが二つ。右側のカウンターにはカフェエ・スプレッソが蒸気をあげている(このあたりは昔、赤銅の取手のついたトルコ・カフェや、吐き気がする水パイプ《註=タバコの煙が出納の中の水を取って吸い込まれるようにしたもの。ニコチン・タールが水に溶け味がやわらかくなる》がついてきたものだ。
 テーブルを囲む無口な男たち。ワイシャツもネクタイもない。しかし、帽子はしっかりかぶっている(彼らには工場で綴じ付けられ帽子周りのリボンをとる習慣がない)。ボールペンや万年筆がポシェテからでてくる。奥にはビリャード台。弓のように曲がった男たちの背中の間を弓のようにまっすぐなキューが乾いた音を立てて触れ合う。気取った男たちが薄墨色のジーンズでポーズをつけて歩き回る。弾力のあるショート・ブーツ。緑の服を着た東洋系のウエートレスが二人。ひとりは美しい。果物のような肌に小さい歯。短い髪に飾りピン。
 何もわからない。ポルト・ワインも知らない。そんなときにはすばやい笑いでごまかす。やせて無精ひげの、大きな包みや手提げかばんをもった男たちがひっきりなしに入ってくる。カウンターでは永遠に蓄音機がうなり、怠惰なジプシーダンスがつづく。単調なリズムの中で時々、ダイピングするような女の叫び声が入る。
 路の途中で、建物の正面を見た。頭に黄色いトルコ帽、白いパジャマの男が、静かにテラスに立っているのが見える。その下には腕を広げたシリアカトリックの神父が、胡椒色の聖なるひげをはやしてドアの側柱の間に立っている。
 表示板や看板をみながら3月25日街の最後まで行く。近すぎる東洋の端っこまでいった。アニャンガバウのトンネル。オスマン帝国の入り口である・・・上はフロレンシオ・アブレウ街で、東洋のホテルや、東洋の下宿屋がある。
 帰途に向かう。もう一度同じ路を引き返す。白い巨大な壁。ジェネラル・エレトリックの照明。イトスギとヒマラヤスギの間で黄色に見えるシリア系教会の前に立ち止まる。白と黒の斑の猫が会堂から出てきて、庭を横切り、鉄の門の前で立ち止まり、謎めいたオパールのように燐光をはなつ目で私を見た。
1929年5月12日
(終わり)