県連ふるさと巡り ペルー=115年経て受け継がれる日系魂=(10)=移民の聖地カニエテへ=日系唯一の寺院も訪問

カサ・ブランカ墓地

カサ・ブランカ墓地

 5日目、一行は首都リマから約150キロ南にあるカニエテ群カサ・ブランカ墓地を訪れた。日系唯一の寺院である「慈恩寺」があることから、〃移民の聖地〃とも呼ばれている。
 のどかな田園風景の中に、白壁に囲まれたその墓地がある。カニエテ日系協会の城間ミゲル会長(66、二世、ぐすくま)によれば、同地は1899年に日本人移民が訪れた最初の土地。「1937年までに亡くなった690人の日本人が安置されている」という。
 佐倉丸で渡伯した第一陣移民790人のうち、266人が農園に入耕し、スペイン系の農主の下でサトウキビや綿花栽培に携わった。移住者は言語も気候風土も異なる不慣れな土地で、日干し煉瓦製の長屋に住み、朝6時には農場に出るという厳しい生活を送った。
 「初めの頃は、マラリアで毎日犠牲者が出た。でも毎日葬式をしていては仕事が出来ないと、何人かが死んでからまとめて葬式をした」との説明からも、凄惨すぎる移住生活が想像された。もちろん離農者も後を絶たなかった。同地に到着して3カ月後、働ける状態にあったのはわずか30人、渡秘1年半で124人の移民がこの世を去ったという。
 契約終了後、多くは首都リマや、それに隣接するカヤオなど都市に移転し商売を営んだ。残った60家族は今も同地に住み、農業に従事している。

港があった場所に建てられた記念碑前で移民史を説明する城間会長

港があった場所に建てられた記念碑前で移民史を説明する城間会長

 城間会長は、「若者の大半はデカセギに行っていて、協会主催のイベントはお盆と彼岸程度。でも二世、三世にも活動に参加してもらい、世界の日系団体とも交流していきたい」と会の存続を誓った。
 墓地見学後は、同協会に隣接してある慈恩寺で協会会員手作りの昼食を囲んだ。
 同寺院は1907年、兵庫出身の曹洞宗僧侶・上野泰庵と日本移民の喜捨により、サンタバルバラ耕地の集落内に建設された南米最古の寺院。建立後2度の移転を経て、77年に現在地に移された。
 本尊の脇には日本人やその子孫の2千500柱を超える位牌が並べられている。同国ではカトリック教徒が大半を占めるせいか、家庭での世代交代後は仏壇を処分し、日本人先祖の位牌を預けに来る人が多い。慈恩寺はペルー唯一の仏教寺院とあって、あらゆる宗派の位牌が混交している。
 現在は無住のため、カニエテ日系協会が運営を担う。日系社会の共有財産として宗教宗派を超え、移民や日系人の心のより所となっているようだ。(つづく、児島阿佐美記者)