暴力団の指示で殺人逃亡=日系容疑者2人の尋問公判=国外犯処罰6件目の申請

 共同通信の2011年5月9日付報道によれば、東京都葛飾区で2001年6月4日未明、日系人の男2人が無職の川上芳考(よしたか)さん=当時(33)=をピストルで射殺し、妻に重傷を負わせる事件が起きた。犯人らはいずれも犯行後に帰伯逃亡して所在不明となり、日本政府は2010年2月、ブラジル政府に対して6件目の代理処罰を申請、サンパウロ州の裁判所は2011年5月に起訴を承認していた。この10月8日、サンパウロ市バラ・フンダ区の刑事裁判所で被告人尋問が予定されたが、被告の一人の弁護士が「サンパウロ市外にいるという4人の証人尋問を先に行うべき」と主張して、両被告は出頭せず尋問は行われなかった。

 共同通信、各伯字メディアによれば2011年10月、裁判所命令を受けた当地警察、国際刑事警察機構(Interpor)の捜査で、マルセーロ・クリスチアン・ゴメス・フクダ被告がカンピーナス、クリスチアノ・イトウ被告がモジ市でそれぞれ拘束された。イトウ被告には首と頭部の一部に青い刺青があったという。
 この事件では、川上さんの殺害を依頼したとして殺人罪などに問われた双子の弟・池辺哲守(いけべ・てつお)受刑者の無期懲役が確定しており、暴力団組員ら計7人が逮捕された。両被告は、組員を通じて事件の実行を依頼され、エスタード紙によれば報酬としてそれぞれ約300万円を受け取ったとされる。逮捕時、モジ市の食料雑貨店で働いていたイトウ被告は、顧客に商品を届けているところだったという。
 逮捕以降2人は拘留されており、州裁のサイトによれば、何度も人身保護法に基づく釈放が申請されているが、いずれも却下されている。
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 裁判所に姿を見せていたフクダ被告のカイオ・セーザル・アランテス弁護士は取材に応え、その日に尋問が行われなかったことに対し、「全ての証人を尋問してから、最後に被告人尋問しなければならないと刑事訴訟法で決まっている」としながら、「自分としては今日尋問が行われ、予審は終わっているべきだったと思う。被告側も原告側ももう新たな証拠は出てこないのでは」との見解を示した。
 「今拘留されている場所は環境が劣悪。有罪判決が出て刑務所に移ったほうがまだ状況はいい」。フクダ被告は現在、これまで3度結核にかかっており、健康状態は芳しくないという。
 同弁護士によれば、フクダ被告は罪を否認しているものの、「存在する全ての証拠、証言が、被告らに不利なもの。ペルーにいるという彼の恋人も、犯行当時のことは覚えてないと話している。有罪判決は逃れられない」。もし陪審裁判となった場合、「(陪審裁判を行うことへの)異議申し立てをするつもりはない」とし、判決は「早くて来年末には出るのでは」とみている。
 「金で雇われて犯行に及んだという事実も罪を重くする」と同弁護士はみる。「殺人の場合、最短の刑期は12年。例えば犯行動機が軽薄な、意味のないものであれば3年、報酬目的であれば3年と、その分刑期が加算される」という。
 2012年2月から同被告の弁護人だという同弁護士は、被告の家族に雇われたわけではなく、法律で保障された権利に基づきデフェンソリア・プブリカ(州の公共弁護局)から指名された。同弁護士自身がこれまで6度しか被告と面会しておらず、また、家族も弁護士に連絡を取っていないという。
 閉廷後、担当のジョゼ・カルロス・コエンゾ検察官はメディアの取材に応じ、「次回の尋問は来年1月21日に行われる」と話した。

コエンゾ検察官=両被告とも懲役20年以上か=「実行犯、有罪になるはず」

 ジョゼ・カルロス・コエンゾ検察官は本紙取材に、「裁判の引き延ばし方策と思われるが、被告側の権利」と説明した。証人が住むコチア、モジ、スザノに30日以内に尋問を行うことを申請するカルタ・プレカトーリア(国内の裁判所への嘱託書)が送られ、来年1月21日には、それまでの尋問実施如何にかかわらず被告人尋問が開かれるという。
 その後、「陪審裁判」を開くかどうかを判事が判断する。同裁判は、一般社会の感覚を反映させるために、市民から選ばれた陪審員が判決に加わるもの。
 同検察官によれば、日本での証人尋問は全て終了し、当地に書類が届いているという。「全ての証言が詳細に事実を語っている。陪審裁判が行われないことはまず考えにくい」と話す。
 検察としては殺人、殺人未遂の罪でそれぞれ最高刑の懲役30年、20年を求刑したとし、「判事がどんなに慈悲深い人でも、両被告とも懲役20年以下にはならない」とみている。「既に殺害を命じた犯人が服役し、犯行当時の細かい証言がある。実行犯が有罪にならないわけがない」と確信している様子。
 同検察官は「2011年4月、手元に届いてから5日後には起訴し、裁判所に捜査・逮捕、未決拘留の要請を出した」と言う。11年から拘留されているにもかかわらず、最初の公判が今になって開かれた理由については、「必要な様々な手続きで、嘱託書がブラジルから日本に出るまでに2年もかかり、最近になって日本から返送されたから」と説明した。
 陪審裁判の日程については、「もし弁護側からの異議申し立てがなければ、早ければ4月末には決まるのでは」との見込みを語った。