舛添知事来伯に期待高まる=都友会が半世紀の節目祝う=サンパウロ州との提携も25年=リオ五輪に向け「調整中」

 ブラジル東京都友会(坂和三郎会長)が25日昼、サンパウロ市ニッケイパラセ・ホテルで『創立50周年記念祝賀新年会』を行ない、約100人が集った。東京サンパウロの姉妹州都締結25周年と日伯外交関係樹立120周年もあわせて祝った。今回は舛添要一都知事の参加は叶わなかったが、来年のリオ五輪の次が2020年東京五輪であり、同知事の来伯に期待が高まっている。

カラオケ、ダンスで賑やかな祝賀会となった

カラオケ、ダンスで賑やかな祝賀会となった

 先没者への黙祷、両国国歌斉唱の後、坂和会長があいさつに立った。「東京五輪のためのリオ下見などを目的に、舛添都知事のブラジル訪問も実現するのでは。将来への飛躍を願いお祝いしましょう」と幕開けを告げた。
 舛添都知事の祝辞も「三つの節目に加え来年はリオ五輪も行なわれる。これらを契機に、更なる交流活発化に期待」と代読された。
 野村アウレリオ、羽藤ジェオルジの両サンパウロ市議、安部順二・元連邦下議も祝辞を送った。福嶌教輝・在聖総領事は「リオ五輪に向けて都知事が何度か来られるよう調整中。都友会からもぜひ歓迎の声を挙げて」と来伯実現にも言及した。
 89年に都立大法学部で学んだ大沼潤さん(50、二世)が、留学生OB代表として04年に途絶えた制度復活を願い、藤間流による祝賀の舞、ケーキカット、鏡割りが行なわれ会食に移った。
 乾杯の発声に立った多羅間俊彦名誉会長は「25年前の鈴木俊一都知事来伯時は会も活性化した。舛添さんにも五輪関連で来伯して頂きたい」と強い期待感を込め、「我々の役目は終わろうとしている。次世代に引っ張ってもらいたい」と若者の台頭を願った。
 モジ在住の興津正治さん(80、東京)は45年3月の東京大空襲で浅草の家を失った。「東京で小学3年生まで過ごし宮城に疎開した。その時代の話をできる人がいないね」と時代の移り変わりを惜しんだ。
 同会は記念誌を編纂中で、元パ紙記者の赤木一成さん(78、熊本)が執筆中だ。援協50周年誌にも携わった同氏は、「都民の先祖を辿れば多くは地方出身者だが、(初代文協会長の)山本喜誉司など優秀な人材を多く輩出している」と称えた。今式典の項目を書き加え、すぐに刊行することを目指している。
 都友会は65年11月3日の創立総会をもって結成された。本格的な組織作りは同年10月ごろ、戦後初の海上自衛隊の練習艦隊4隻を歓迎する県別組織が母体となった。都出身者の先駆けは笠戸丸移民の茨木友次郎(本門仏立宗日水上人)、妻・チヨ、弟・信太郎の3氏という。
 会員は現在約150人。90年6月13日にはサンパウロ州政庁(バンデイランテス宮殿)で、オレステス・ケルシアと鈴木俊一両知事による姉妹友好提携が結ばれた。以来25年間、都知事来伯はない。