福博村会創立80周年祝う=記念碑建て後世に遺志刻む=「ここに幸せな村あり、ありき」=創立者会員家族に記念品

 スザノ市福博村会(高木政親会長)は25日午前11時半、『福博村会創立80周年記念祭』を同会会館で行い、村会関係者、創立会員家族ら約120人が集まった。先没者黙祷、両国国歌斉唱の後、記念碑の除幕式が行われた。「福博」と刻まれた石碑がお披露目されると、参加者は拍手で盛大に祝福した。

 高木会長が挨拶に立ち、「村会80年を迎えるに当たり、その歴史を長く後世に伝えるべく記念碑を立て、同時に創立会員遺族の方々にささやかな記念品を贈呈したい」と話した。
 森和弘スザノ文協会長は「福博が小さい村ながら全伯で知られるに至ったのは、開拓当初の村人が協力精神と開拓精神を持ち合わせていたおかげ」と先祖に敬意を表し、狩谷秀幸ACEAS(汎スザノ文化体育農事協会)会長、徳澄パウロスザノ市長らも祝辞を送った。
 狩谷氏は「残念ながら村会をはじめ幾つかの日系団体は存続が危ぶまれている」と現状を述べつつも「修養団の青年らが子供達をリードしている姿を見ると、我々の文化、習慣はまだまだ存続できるはず」との期待をのべ、「難しい道だが力を合わせて行きましょう」と呼びかけた。
 続いて、村会名誉顧問の大浦文雄氏が村会史の概略を説明した。来年で入植85周年を迎える福博村には90家族が住むが、子供が同居している家庭は僅かで、多くは町に出てしまうという。
 大浦氏は「本人は残らなくても遺志は(子孫に)残る」と前置きして《ここに幸せな村あり、ありき(あった)》との自身の詩を紹介しながら、「記念碑は今の価値じゃない。未来への価値、歴史の証として建てた」とそこに込めた想いを熱く語った。
 さらに創立会員家族15人に記念品が贈呈された。中村洋一氏(82、二世)は「特別なことはしていないが、父や村会創設者の方々に感謝を申し上げたい」と話した。
 11歳から24年間を福博村で過ごした田辺豊太郎氏(89、北海道)は「今こうして日本語が話せるのは、福博の日本語学校のおかげ」と敬意を表し、「福博に帰ると少年期の記憶が蘇る。福博は我が故郷なり」との想いを語った。