パナマを越えて=本間剛夫=25

 コーチは突然、暫くこの町に滞在すると意外なことをいった。何故? と質ねたが、コーチは急に用事ができたのだ、という。得体の知れないコーチのことなので深くは尋ねなかったが、コーチの方から説明した。
「ここは、国際スパイの拠点だ。世界の女が集められているんだ。敵国の情報を掴むには、その国内よりも、隣国での方が正確なんだ。わしは仕事上、一応日本へ帰るが、すぐまたここへ戻って、ここのボーイとして働くよ」

 コーチは、一体、どんな職業なのだろうかと今まで疑っていたことが、何となくわかりかけたような気がした。日本軍部の最前線で働く使者なのだ。
「君、あの女と、どんな話をしたんだ?」
 コーチの質問に答えることは何もない。「彼女はただ、早く日本へかえりなさい、といっただけだよ。驚いたことに彼女は日本語がわかるんだね。英語もフランス語も立派なもんだ。わたしは、初めそれを知らなかったから英語で話しかけたら、ポルトガル語でいいというので、会話はポルトガル語だった。それが流暢なんだよ」
「それから?」
 コーチは次を促した。
「日光丸は何を積んでいるのか。ここでどのくらい棉を積むのか。アメリカのどこへ寄るのか。そんなことを訊ねたよ」と云うと、
「彼女たちは、日本語は十分とは云えない。幸いなことに……」
 とコーチは苦笑した。
「君、わしが、どんな仕事をしているか、分ったろう。今夜、ゆっくり話すよ。開戦はもうそこまで来てるんだ。何でも話そう」
 その夜、夕食後、コーチは話し始めた。
「この間、途中で止めた話を続けよう。いいかね」といって、私の眼をじっと見つめた。
「おれの親父は高知県人だ。一八九二年、父はペルーの棉畑、これは英人の耕地だ。その耕地の扱いがひどいんで、その棉畑から仲間と一緒に逃げ出した。契約なんて、でたらめなんだ。
 耕主は警察、役所を丸めこんでいるから見つかればイチコロだ。九十人余りで逃げたんだが、アンデスを越えたところで三組に分かれた。もしものことがあって、全部がつかまえられると、とんだことになるからだ。行き先はボリヴィアとブラジルとアルゼンチンだ。親父はチチカカ湖のほとりを廻ってアマゾン源流の小さな集落ベニにたどり着いた。その部落民はゴムの採取で生計を立てていた。そこで親父はインジオの娘と結婚した。生まれたのがわたしだが、親父は逃亡生活の疲れでジャングルの疫病とりつかれ、わたしが五つのときに死んだ。わたしはボリヴィア人の名前だったらしい。マリオとかホセとかいったんだろうね。たぶん……」
 コーチは、そこで言葉を切って何か考えているようだったが、つづけた。
「親父はね、死ぬまぎわに母にいったそうだ。この子は、この密林の中で育ち、大人になって死んでいく。だが、日本人の子だということを忘れないように育ててくれ、とね。そこでわたしの名が父の出身地コーチになり、母方の姓はヴァルガスだから、本当の名はコーチ・ヴァルガスだよ。学校なんていうのもないからね。わたしは九つまでジャングルを歩き廻ってお袋と生ゴムをとっていたんだ。別に不幸だとは思わなかったね。いいお袋だったからね」
 コーチはまたそこで考え込んだ。