【樹海拡大版】『被災地には日本全体の問題が凝縮されている』

 5日のTV東京番組『カンブリア宮殿』で、岩手県陸前高田市の創業200年、伝統の味噌蔵「八木澤商会」の震災後の新しい取り組みが紹介された。4年前の今日起きた東日本大震災で、秘伝の醤油や味噌の樽も流され、工場全壊の被害を受けた老舗だ▼当時専務だった河野通洋社長の判断で裏山に駆け上がり、社員の大半が助かった。目の前で渦を巻く津波―「まるで映画の中のような非現実的な光景…。でもその時、頭の中は意外と冷静で、現預金で役員報酬をゼロにしたら社員の給与を7~8カ月払えるという計算をし、じゃあやろう、と考えた」と会社再建の判断をした瞬間を振り返る▼震災の3週間後、河野さんは全社員を集め「雇用を全員維持する」と約束し、その場で給与を支払い、父親から社長を引き継ぐと宣言した▼河野社長が子供の頃から慕っていた営業部長はボランティアで消防団に所属し、率先して堤防を閉めに行き、津波に巻き込まれた。「みんな家が流され、家族を探していて、不安を抱えている中で、身近にいる人を安心させるために何かができるか。『お給料を普通に払いますよ』と云おうと思った。『津波なんかに負けるもんか!』ですよ」と河野社長はうっすらと涙をうかべた▼老舗ののれんは重い。「下りのエスカレーターにいることは頭の中で分かっていても、本当に変えるための行動に移せるかというと、ものすごく勇気がいる。震災が起きて捨て身になったことは、大きなきっかけになった。やらないと生き残れなかった」と述懐した▼思えばコチア産組や南伯農協がなくなってもう21年が過ぎ、とうに求心力を失った日系社会も〃下りのエレベーター〃の真っただ中ではないか。河野社長のような存在はコロニアにいるのだろうか▼1年半後にようやく醤油生産を開始したが、従来の取引先の多くはすでに廃業していた。新規開拓を図らないと潰れる―そんな危機感から地元の被災中小企業が頭を寄せ合って新商品の共同開発を始めた。三陸食材を使ったスープブランド「まで~に」、甘じょっぱい「しょうゆソフトクリーム」、ポルトガル菓子風「味噌スイーツ」。本人が「震災以前なら絶対やっていなかった」と振りかえる商品展開だ。TV画面を見ながらブラジルでも販売できないのか―と思った▼河野社長は震災を振り返り、「日本人ってすごいと思った。『衣食足りて礼節をしる』という言葉があるが、震災直後はその衣食が足りなかった。足りなくても、人のために何とかしようと〃義〃のためにみんなが動いた。あの時、自分が食えなくても『人のために役になっている』という自覚があるから、みんなが生きれた。その気持ちが強くなったのは震災のおかげ」と危機をチャンスとしてとらえている▼村上龍は番組の編集後記で「被災地は今の日本の象徴。あれから、四年がすぎた。『被災地には日本全体の問題が凝縮されている』という認識を、わたしたちは今こそ共有すべきだと思う」と書いた。移民107年の〃ノレン〃を持つコロニアも、この再建の意気込みに学ぶべき―ではないか。(深)