パナマを越えて=本間剛夫=55

 粥にすれば一週間はもつ。その問題よりは、大本営がこの島を無視していなかったことが分っただけでも将兵たちを元気づけることにはなろう。

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 翌日、命令受領のあと、私は再び樹林の下に立った。蔓草のカーテンのどこにも、人がもぐり込める間隙はなかった。蔓は上から下がっている枝根にからんで這い上がり、天井に達して互いからみ合いながら、その先端を下に向けて地上におり、そこ数本の新しい根をおろして再び天井に這い上る。幾十年、幾百年、蔓は枯れることなくその営みを繰りかえしてきたのだ。
 この瓦礫の山に最も強靭に生きる生物、その生命力の強さに、私はたじたじとなる思いで帯刀を抜き、力をこめて正面の根元から伐り込んだ。私一人が這いこめる穴があれば、カーテンの内部に人が潜む空間があるかどうかは確かめられる。
 しかし、私の一太刀は全く効果がなく、数枚の葉がパラパラと落ちただけだった。それでも私は諦めず、両足を踏みしめ、続けて帯剣を打ち下した。細い新しい幹が何本か切れ、その奥から褐色の太い幹が現れた。
 これを伐りさえすれば……。そう思いながら私は力尽きてクタクタとそこへ座り込んでしまった。痙筋から湧く汗が胸から腹に滴り落ち、目がくらみそうになって横になった。心臓の鼓動が静まり、汗がひいたとき、私はカーテンの奥に叫んだ。もし、この中に敵が潜んでいるとすれば、今の太刀音をきいただろう。そのために更に奥に逃げ込んでしまえば、私の努力は水泡に帰してしまうと思ったからである。「こわがるな。君を助けに来た。私はブラジル人だ」
 その声は洞内にこだまして返ってきた。耳をすました。何の応答もない。続けてスペイン語で同じ意味のことを叫んだ。アメリカ人でなく、ラテン系の志願兵だったら理解できると思ったからである。
 それからポルトガル語で何回も同じことを繰り返した。十秒、二十秒、私は耳をすました。しかし、聞こえてくるのは鈴虫の、あの幽かな鳴き声だけだ。立ち去り難い気持ちで暫く蹲んでいたが、帰営の時間が気になって坂をおりた。
 翌日も司令部からの帰路、カーテンに向かって帯剣を揮った。作業は少しずつ進んで三日目にようやく上半身が入れるほどの穴をあけることができた。そして、同じことをカーテンの奥に叫んだ。
 四日目の朝は珍しく南東の凪が吹き、病棟の中まで冷たい空気が漂った。いつも空気が淀み、屍臭を混えた甘酸っはい異臭が流れる濠内が洗われるような気がした。
 今日はカーテンの中へ入ろう―私は事務室にゆき、懐中電灯を探したが、既に、電池がなくなっていることに気づき、ローソクとマッチを雑嚢に入れた。
 病棟を出て間もなく、いつもより重い爆音が背後で起きた。偵察機の編隊だ。私は潤葉樹の大木の下に匿れた。編隊は三角山の上で分れて旋回をはじめた。敵機は一定の間隔をおいて頭上を通過した。島の周辺と三角山を中心にして偵察しているらしかった。五秒、十秒、爆音は遠くなり、近くなりして執拗に旋回して、なかなか去ろうとしなかった。私は辛抱づよく身を匿していた。二十分もたったろうか。次第に爆音が遠のき、やがて聞こえなくなった。私は再び歩き出した。
 司令部に着くと、定刻が過ぎているのに命令受領者は半数も来ていなかった。