パナマを越えて=本間剛夫=59

 薬品の保善は、特に前線では私たち衛生兵の、看護に次ぐ重要な任務だ。見廻わすと事務室の定位置に薬品箱が見えず、勿論三浦軍曹の姿もない。私は奥に引きかえした。すると、例の少年兵のそばに軍曹は薬品箱を背に、劇毒物の小函をしっかりと胸に抱いているのが見えた。さすがに先任者だ。
 外界では空からの爆撃に加えて艦胞射撃も始まっていた。遥か海上から五、六秒おきに祭り太鼓のような響きとともにシュッ、シュッ、シュル、シュルと破れ、パイプを水が噴き出すような音に続いてドーン・ドドーンと炸裂音が起きた。しかし、私たちは今までの経験で艦砲射撃を馬鹿にしていた。陣地に正面から飛んでくるばあいのほかには、昼は真黒い塊、夜ならば火の玉となって、はっきりと見えるから、体を匿すに十分な時間がある。
 だから艦砲射撃は道路や橋梁を破壊する力はあっても、傾斜だらけの立方体では山腹に穴を明ける程度で兵員に被害を与えることはむずかしい。その上、海上からの砲撃は照準を合わせにくいのか、多くの弾丸は三角山の頂上を素通りして東の海上に落下する。
 幸い私の十六号病棟は海上の何れの方向からも死角にある。直撃を喰らう心配はない。しかし、これは上陸の前触れかも知れない……。でなければ、この無抵抗の小島にこれほどの物量を投入する筈がない。しかし、それほどの消耗を蒙るほどの価値が、この島にあるのだろうか。
 空と海からの来襲は約一時間で止み、島は元の静寂を取り戻した。定刻を二十分もおくれてから私は司令部に向かった。
 米兵が三角山の洞窟に潜んでいる可能性は殆どないことが分ってみると、三日にわたる徒労がおぞましく思えてきた。敵を救わなければならないという、今までの義憤が、いつか、次第に薄らぎ、頭の中で憎悪が頭をもたげ始めていた。これは報いられない恋情が、嫉妬と嫌悪に変貌する感情の起伏に似ていた。
 今日は三角山には登らず、随道を行くことにした。濠内の落盤の程度を知りたかったし、その程度によっては補強策をとらなければならない。落下した石や土塊は、奥に行けば行くほど量を増していた。
 ところどころ、天井に届くほどで、天井との僅かの隙間を辛じてはい抜けなければならなかった。水分を含んだ土塊に、私の上衣も袴も泥だらけになった。意外な地盤の脆弱さだった。最も堅牢を誇っていた十六号病棟がこれほどなら、他の部隊も相当な被害を受けているに違いない。
 ひとたび相互の牽引力の均衝を失った土塊たちは、これからも予想される大規模な爆撃によってもっと大量の崩壊を起こすだろう。患者をもっと安全な地域に移動させなければなるまい。
 行く手に司令部の光が見え出した。

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 命令受領者たちは、まだ半分ほどしか集まっていなかった。彼らはひと塊りに円陣を作ってめいめいの部隊の被害情況を話し合っていた。電信隊の少尉だけが、その輪から離れたところで両膝を抱いて頭を垂れていた。命令受領者の中で唯一の将校だから、というのではない。彼だけが真実の戦況を知っていて、それを口外できない立場にあり、輪の中に入れば口を割りかねない、という自分に対する警戒心からであろう。