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パナマを越えて=本間剛夫=62

 言葉に詰った。用件というほどのものではない。私が蘇生させた女のその後の容態が知りたいこと、第二にエンセナーダの港町で抱いた戯れの相手かどうかを確かめたい。もし、あの時の女だったら、コーチを知っている。なぜメキシコの田舎娘がアメリカの航空将校になっているのか、その謎も解きたい。得体の知れないコーチとの関係も……。
「見舞いたいのであります」
 私には知る権利がある。その自信が、私に明らかな態度をとらせた。その瞬間
「馬鹿者っ! ここは戦場だぞ。何を考えとるのか、お前はっ!」怒声が周囲の壁にはね返った。
「お前がそんなことを考える必要はない。十分な手当をしている」副官は続けた。
「実は、お前は来週から新しい任務につく。三浦軍曹を通すべきだが、今日、幸いお前が捕虜との面会を申し込んできたので、師団長閣下に申し上げて許可を得た。この間の女子航空兵だが、あれは米人じゃない。英語が全く下手なのだ。スペイン語で話したい、といっとるんだ。お前はスペイン語が解る筈だからな。彼女との接触をお前にさせたいのだ。」
 だが、今日の面会は許さん。
 私は執拗に衛兵の兵長に頼みこんだ強引さが成功したことに満足した一方で、願いが却下された憤りで胸が震えた。孤独の女囚を慰撫するのにも軍隊の秩序は尊守されなければならないのか……。私の憤りは長くは続かなかった。あと三日間で逃亡中の兵を見つけなければ……。果たしてあと三日で探し出すことができるだろうか。
 帰りぎわ、庶務課長は「ご苦労」といい、鮭の缶詰と煙草を私の雑嚢に押し込んでくれた。第十六病棟の我々四人のための好意だった。何となく、私のこれからの生活が大きく変わっていくような予感の裏で、暗い不吉な影がふくらんでいた。
 衛兵所を通り過ぎ、明るい外界に出ると、雑嚢から庶務課長のくれた「ほまれ」をとり出して深く吸い込んだ。何ヶ月ぶりなのだろう。煙は肺を満たし、脳髄の中までも浸み通った。
 四個の缶詰と煙草で脹らんだ雑嚢の快い重さも不信のために私を憂鬱にするだけだった。今日は谷川の上流の断崖をおりてみよう。もう、あの地点以外には敵の棲家はない。島の地形から、目標をあの断崖付近に絞る意外に考えようがないのだ。あと三日間、あの断崖に的を絞ろう。
 私は三角山を登りはじめた。陞につれて島は至るところ穴だらけになり、焼け焦げた草と石ころが風景を変えてしまっていた。いつも通り馴れた石ころの道は到るところで分断され、爆弾の掘った摺鉢のヘリを幾度か迂回しなければならない。三角山の稜線に立ったとき、昨日潜った熔樹林を眺めた。
 熔樹林は反面がまっ黒に焦げ、太い枝が折れて吹き飛ばされ、斜面に投げ出されているのが見えた。頂上に着くと、眼下拡がる碧い海が、いつものように微小な白い昆虫の群れを弄ぶように、崖に波頭を打ちつけていた。白い昆虫たちは、そこで跳ねかえり、飛び跳ねては消え、消えてはまた跳ねかえる空しい運動を繰りかえしていた。
 海、とてつもない重量感をもつ巨大な漆黒の壺、幾万の兵と艦艇を呑み込みながら寸毫の羞らいも見せず平然と居据わっている。だだっ広い皺だらけの平板な腹を空に向けて曝しながら……。
 醜悪な海よ。お前はその図々しさ、破廉恥を恥じないのか……。私の憤りは人類が自ら造り上げた「軍」と呼ぶ巨大な構築物の中で、あの白い波頭のように弄ばされる無力な生物と化し、自ら創造した者に支配され、自縄自縛する愚かな人類への激しい慷慨であった。

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