■訃報■多羅間〃殿下〃亡くなる=皇籍離脱した明治天皇の孫

 「多羅間殿下」とコロニアで親しまれていた明治天皇の孫、多羅間俊彦さんが15日午後3時ごろ、自宅で心臓発作のために亡くなった。享年86。16日正午時点で初七日は21日を考えているが、場所等は未定。
 多羅間さんは、東久邇宮稔彦王と同妃聡子内親王(明治天皇の九女)の第四王子として生まれ、学習院で学んだ。父の東久邇宮稔彦王は終戦後初の第43代内閣総理大臣(1945年8月17日―同10月9日)。1947年に皇籍離脱。
 在聖総領事館に勤務して平野植民地やアリアンサ移住地建設に尽力した多羅間鉄輔領事は、退官後に一移民として渡伯し、リンスでコーヒー耕地を経営した。開戦直後に交換船で帰国を勧められたが「移民と残る」と決断、42年に当地でなくなった。多羅間さんはそのキヌ未亡人の養子となり、51年4月にブラジル移住した。
 当時コロニアでは「昭和の天孫降臨」と呼ばれ大騒ぎになった。多羅間耕地の経営を10年間ほど引き継ぎ、その後はサンパウロ市に移転してプロドゥトーレス・コーヒー倉庫会社監査役や経営審議会副会長を30年間も務めた。
 渡伯10年ほどで資産家の花城清安さんの娘と結婚し、「ブラジルに住むならここで選挙権を取ったほうが良い」と考え、70年頃に帰化した。
 ブラジル東京都友会会長、県連副会長、文協副会長、学術振興会ブラジル協会副理事長などを歴任した。1985年に東京都で世界大都市サミットが開催された際、マリオ・コーバス市長(当時)の特別補佐官として出席し、1990年に東京都とサンパウロ州の友好協定の実現にも尽力するなど、日伯をつなぐ懸け橋的な人材として常に交流に参加していた。