パナマを越えて=本間剛夫=65

 中尉と話す機会を何とかしてつかまなければ……。アンナのことを相談しよう。連合軍は日本をどうするのか。属領として永久植民地化するのか.それが歴史的に自然な形だろう。そんな日本にいたたまれるものではない。果たしてブラジルへかえるのか。まとまりのつかない疑問が次々と湧いた。

 命令受領の時間が来て、広場にいつもの顔ぶれが集まっていた。私は今村を伴って最後尾についた。今日から私に代わって今村が命令受領者に任命されるはずだ。
 科長の命令は相変わらず農耕に努めること、秩序の維持を厳格にすることの二点だけで、兵隊の最も関心ある連合軍の日本管理や兵隊の帰還については一口も触れなかった。
 一同は一様に不満の表情を表した。爆撃で焼けただれた苗を拾い集める前に、司令部はどこかに匿してある食料を分配すべきではないか。その量がたとえ全島将兵の一日分に足りないとしても空腹は共に分けるべきだ。この機に及んでもなお司令部は特権意識を捨てようとせず、秩序の維持を特権者のために強調する。何という破廉恥! 司令部は従順な兵隊たちの憤りの極限を察知できないのだろうか。それでも下士官たちは秩序の維持が各自のためでもあり、無事内地に帰還できる最良の方法だと感情を抑えている。私語する者もなく肩をおとし、黙々として帰途につき始めた。
 洞窟の女の発見を極秘にせよという。なぜなのか。やはり司令部に報告すべきではなかったのだろうか。通訳を命じられたときにはエリカに会える……と甘い期待もあったが、司令部の不可解な態度が重いシコリとなって胸の底に沈んだ。
 私は今村の手を借り、指定された内務班に運んで来た装備を置いた。第二病棟とは比べようもない快適な部屋だった。十坪ほどの広さで天井に太い針金を縦横に渡しカーテンで仕切った個室に寝台があり、湿気も黴の匂いもなく白いシーツが眼に沁みた。
 装備を整頓し、今村を促して急いで命令受領者たちの後を追った。随道を抜けたところで彼らがひと塊りになっているのが見えた。近ずくと塊りの中心に粟野中尉の顔が見えた。そうだ、一切を中尉に話そう。中尉に頼るほかない。
「連合軍は日本を分割して統治するという噂がありますが、我々は家族と再会できるのでしょうか」
 曹長の声だ。
「……分割論はソ連の主張だが、米、英が同調しまい。連合軍の主力はアメリカだ。アメリカが無茶をするとは考えられない。とにかく、みんな無事に帰れるように司令部の命令に従うべきだよ。みんな健康第一だ。……。アメリカはソ連の野心を抑えるのに今、懸命になっている……。アメリカは無茶はしない。ハワイの日本人はもう生業についているよ……」
「どうして、それが分りますのですか」
 曹長だ。
「ハワイ放送だ。……ともかく、情報が入り次第、明日また話そう」
 中尉はハワイ放送を聞いているのだった。兵隊の頼みの綱は粟野中尉ただ一人だ。それも太い綱なのだ.司令部は頼りにならないという思いが皆の胸に廣がっているようだ。
「有難うございました」
 曹長の声に続いて、皆が中尉に礼をのべた。
「では………」
 手を上げて傾斜を左へ登って行く中尉の背に皆が挙手の礼をした。